7(1)では昔はどうだったのか?歴史的根本原因を探ってみる

古い文献によると、縄文時代から奈良時代以前は普通に肉食は食されていたようです。しかし、再三に渡って出された「肉食の禁止令」以降、江戸時代末期まで日本の食生活は健康食に変わったとあります。鹿と猪を除いては

奈良時代以降、次にあげる理由で、肉食を忌避する日本人の数は次第に増加します。

  • 仏教の戒律唐の影響
    仏教 五戒にある「不殺生」
  • 肉食禁止令のふれ(天武天皇四年(676)4月17日)
    「牛馬犬猿鳥の肉を食ふことなかれ。この他は禁例にあらず。もし犯すものあれば罪せむ」

 

*奈良時代以降、日本人の食前から動物肉が消えてしまった。

その代り、魚で動物性のタンパク質をとり、大豆と米で植物性のタンパク質を補給するという、世界に類のない健康な食文化を形成するきっかけとなった。和食文化の出発点だった。禁止は5種類だけだったので鹿と猪は禁止対象とならなかったのは、庶民の間では重要な食糧源となっていた証で、縄文、弥生時代から続いた食習慣は、権力でも禁止はできなかった。農耕を助ける家畜の食用を禁じるということは稲作農耕中心の国家意識が反映されたということ。

 

でもほんとに肉は食べなかったのでしょうか?
いやいや、どうも本音と建前があったようです。

 

平安時代でも狩猟による獲物の肉を食うことに対しては禁制はなく、天皇自らもこれを薬猟と称して実行している。薬食い(くすりぐい)といって言い訳を使って食していた。薬の用途でなければ、たやすくは食べることは許されない。

 

つまり薬として食べていたようなのです。
いい訳のレベルは現代と同じかもしれません。(笑)

 

*ちなみに、この頃には牛乳も飲まれていたようです。

牛乳は平安時代、典薬寮(てんやくりょう、今の厚生省)を通して、朝廷が独占的に管理してきた。つまり当時の牛乳は薬用として飲まれていた。牛乳の効能については、栄養が不足して痩せ疲れた者を補い、乾きを止め、気を下す。と平安時代の医術所
医心方(いしんぼう)にある。

昔は現代のように滅菌殺菌を義務付けられていない分、薬としての役割が多かったのでしょうね。昔はどの米農家にも家族の一員として可愛がられ、動力源だった牛。老衰した後、最後にみんなで食していたようですが、今は役割が変わり、最初から食する雄牛と、乳牛用の雌牛に別けられるようになりました。

偶然、以下のビデオを発見しました。一畳のスペースで一生を暮らす生活、今や水より安い牛乳と食料だけの牛・・・事実なら、やるせないですね。

ショッキングな内容にて閲覧注意!!

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