いよいよ新訳聖書へ
戦争やテロを知るには、やはり歴史や宗教を知る必要があります。とはいえあの分厚く細かい文字群が立ちはだかると、どんなに解りやすい例え話をしてくれたとしても、未信者&世界史が弱い人間ではなかなか全容把握に難があります。
実は教える側のプロであっても同じ
ただ根本的なことを知るべきことを知らない牧師も多いのも確かなようで、よくない先生についてしまうと、もろとも という怖さを感じてしまいました。
島原の乱など昔、義のための迫害されても耐え忍んだものは、より信仰が強くなり、北風と太陽の北風同様、この手法では誘惑できないとサタンはあきらめたといいます。(サタンは神道でいう魔がさすというところでしょうか)
一方で現代は、信者に対して叱らない、心地よいことしか言わない教会が増えているといいますが、まさにこれこそがサタンの仕向けた次の手段、気軽なイエスを信じなさいといいます。
戒め(いましめ)のうち最も小さいものの一つでも、破ったり、破るように教えたりする者は、天の御国で最も小さい者と呼ばれ、守り守るように教える者はその逆。
旧約で作られた立法を成就するためにイエスはきたのであって、古い縛りはなくなったと考えることが間違いの原点だそうです。
若い女性から産まれたインマヌエルは、イエスではない。ということが解りました。あぁエマニュエル夫人という映画がありましたね。旧約を少し読めば同一でないことは歴然ですが、この名前を冠した教会が多いというからなんだか変な話です。
歴史や経典から何を学ぶか
これは企業でも同じですね。何がブラックかという意味を知らず、人生こんなものだと精神で壊れてしまう。もう少し他の会社や、業種をみたら全然違うかもしれないのに・・・
オオカミに育てられた子供はともかく、先生からこのおかしいというものを見出すのも、結局は本人の力。引き寄せ力ではなく、根本は学びの上での取捨選択だということ。
だから類は友を呼ぶように、心地よいところを求めた結果、気が付くと年齢は違っても、精神状態が近いものが集まるのでしょう。
山上の垂訓(一部)
- 物質的に苦しい=心が貧しい のが良い
満足すると横柄に逆になり、純粋さや求める心がなくなる - 心を清く
濁った眼ではなく、清さで物事を正しく見る。だから本当の神が見える。 - あなたがたは塩である
あなたが入ることで、スパイス、料理全体がおいしくなる様な役割になりなさい。善い行いを、びっくり&感動するぐらいよい行いを - 現代で殺人と同様の罪は、人格を冒とくすること
- 結婚式で誓った不正以外の理由で離別してはいけない
よい影響を与える子孫が産まれない - あなた自身や、髪の毛一本すらあなたのものでない
いずれにせよ世界のベストセラーである聖書だけに、とても学びが深い教えが詰まっていることが解ります。