付近にお城や公園があるとなぜか安心する
いつの頃からか社会人になれば、平日 公園に行くのはせいぜい お昼ご飯ぐらいになった人も多い気がします。
周辺に停まっているクルマを眺めると、営業さんが納品時間調整をしているのか、リクライニングシートを倒して目をつぶっている人を見かけますが、それぐらい。
でも改めて春の陽気で緑色の芝生、草にお尻を置くと、太陽と地面からのエネルギーが得られる感じがあり、鳥が水たまりで羽を広げて行水をしている様子や、木々が緩やかに揺れて葉っぱがひらひらとほおに当たることで、自然と同化し、自然を感じられる実感があります。
季節の風に当たりなさいという健康策がありますが、これは当然のことだし、何よりもアイデアが湧いてくる。
スマホ文化が壊したもの
なんとなく効率が上がったように思えるけれど、中身は浅く、広く。間違いなく携帯電話が、特にひたすら時間を奪うメッセージ表示するスマホなどが無かった時代は、もっと人間は熟考出来ていたように思います。管理側が楽になるだけ。でもトータルでは会社の損害。
良い絵画や映画、演劇に間が重要視されるように、ぼーっとする瞬間に感覚的な脳みそが動き、何かを思いつくような なんだか考えが整理されたり、創造力が上がる感じがいつもあります。
これは癒やしにも繋がるし、タバコや安いコーヒーにまみれた会議よりも、圧倒的に合理的にアイデア、発想力をあげる手段なんだと思います。
やはり人間、原始的な部分は何も進化しておらず、脳に安らぎという栄養を与えなければ、どんな立派なマニュアルがあっても業務効率があがらないと、確信した次第です。
ということで、デジタル社会到来ではあるけれど、AIが進めば進むほど、空虚感が増すだけで息が詰まる。監視社会を構築する側にとってはハッピーでも、管理される側の圧倒的多数の人間が住みにくい社会になるのは間違いなく、解決は、昔に戻るべき&アナログに向かう必要があると、自然に学んだ次第です。