四書五経のひとつ中庸。月一度の京都での勉強会です。
いつの間にやら京都の四条通は歩道が広がり、きれいに舗装されてました。さすが予算がたくさんついたのかと思う一方で、道路が大渋滞するようで、バスの時間も遅れているようです。歩いたほうがはやいというニュースも多数。どっちつかずで難しい問題ですね。
今日の中庸のトピック
人は自らを善人と思う、最後は私こそ善人と思う となってくる。
古来より君子といわれている人は、自らの感情で善悪を決定するのではなく、道を知り、哲学を知り、道徳を知り、そこに自らの感情をもふるいにかけていった ようです。
けっして自分の感性だけで心地よいものを選ぶだけでなく、手前勝手な善や、正義ではなく、道に適っているかどうかを見極めて自らを戒めていく。そんな哲学に判断基準を求め、自らを律していくことが中庸の道。
誰しもに共通する善だからおそ人は得心する。これを学び実行することは難しいことではなく、むしろそこには道を求める楽しさ、喜びがある。
自らの襟を正す姿勢こそ、人に伝わり人を感動を与え、人を動かす。
サカナもとんびも処を得て悠々とその生を送る。君子も道を得て上下全てが明らかになるさまは、まさに処を得て悠々とその生を送ることと同様だ。道を得ることは肩肘をはって得るものではない。自ら修めることに喜びがあり処を得た喜びが身の内からふつふつと沸き起こってくることが人の道だ。
人として生を受け、道を知り、実践していくことが病気にかからない一番の秘訣かも知れないと改めて復習した一日でした。つまらぬ評論家や学者に伝えたい~ |