私のことではなく、今日の1時間半ぐらいの3人のインタビューでわかったこと。ステージ1a、ステージ3a、ステージ4、様々な人がいるが、あえて、いろんな癌をわずらって良かったことを、2カメスイッチングとカメラワークをしながら、あえて最後に質問した。
彼女たちが声を揃えていったこと。
それは、死を意識させてくれたこと。
- 食にまじめに取り組むようになったこと
- 癌の仲間が出来て、情報交換でき、決して一人でないとわかったこと
- 生き方が丁寧になったこと
- 死んだら出来なかった時間を社会のために役立てようとしたこと
スピリチュアルなことを言うのは好きではないけれど、やはり本人や周りの誰かに何かを気づかせようとして天は病気を与えたと、はっきり理解した。
潰瘍性大腸炎も、てんかんも、国内トップの病院がさじをなげ、見放した病気も、あきらめずに情報収集し、良い商材や人に出会えば、病なんて本当に治るんだと核心した一日でした。そして食と精神の大事さとともに。
そよ風のようになくなった癌を懐かしむ人たちの声を聞いて、生死を考えることは大切なことであり、毎日きっちり死んで新しい明日を生きるというどこかの
作家が言っていたことをふと思い出した。
そして、本当は宗教者や葬儀屋さんが声高らかに言うべきことなんだと、拝金主義に傾きすぎな現代を憂いた日でもありました。