動画とタッチの融合と文化の拡張

サッカーの解説もそうですし、書道の先生も学校の講師も、はたまたビジネスで成功を収めたコンサルティングも。

 

映像はシンプルになってゆく

視点を変えると、まるで世の中の構造が違って見えることがあります。今まさに情報発信者の視点に立ち、視界が大きく変わった感覚が広がっています。誰しもが発信欲求を抑えなくてよくなりました。

放送という独占された公共の電波は、所有者である局や広告代理店、タレント事務所、そして楽して販売できる広告主などのメリット以上に、免許制であるがための監督管理責任が楽チン!という特性があります。

しかしHPに始まり、ブログで爆発的に加速した個人発信の流れは加速し、今やTwitterやFacebook、ツイキャス、Youtube、Ustreamへと活躍の場を広げています。そして管理監督責任はというと、もちろん個人にシフトしています。

これは健康食品の規制緩和で一部、国の管理下から、個人に移るのと同様、いろんなトラブルはそれを信じたあなたのせいだ、国は最低限の役割を果たすけれど責任は持てないよだまされないように勉強しなさい ということです。

 

シンプル素材に文化が加算される

ありがたいことに、この日本では固定費さえ払っていれば、一応平等の通信網を自由に使え、誰にでも、自身が持つノウハウを無償、有償問わず、配信できます。

映像は視覚に訴え、感性にも訴える力がある分、コンテンツ作りには難を極めるのは当然のことと思っていました。しかしながら、絵描きさんや漫画家さんが、その作画工程を、ひたすら見せている姿の動画を、外人がたくさん見て、コメントしているのを知って、考えが変わりました。

映像はシンプルなほど良い。そしてそれは平気で国境をも超えゆく・・・と。

最低限のコメントを英単語のテロップで表現できれば、ひょっとしたら数か国語を話せるファンが勝手に字幕をつけてくれるかもしれません。

みんなが共有したい映像は、別の人の動画や解説などが合流してゆき、やがてはさらなる進化をとげそうな気もしています。まるで同人誌と著作者の関係の如く。

 

やがて様々なジャンルの発信者が生まれる

動画とタッチの融合

言葉に意味なし(笑)

 

もっとも映像といっても様々なジャンルがありますが、世界中の同じ世代に生きた人類が明日を楽しく生きるため、知恵を共有しあうことは、政権トップには悪いことでも、きっと庶民には良いことの方が大きいと感じた次第です。

生まれついた国が紛争地帯で、厳しい宗教を持ち、納得できない為政者について行かざるを得ない環境であっても、ひょっとすると日本のような他のどんな宗教も共存共栄できる、異なりを認めそれぞれを活かすという和の精神を知れば、目からうろこで重荷がなくなり、やがて良い未来が開けることもあるかもしれません。

いかんせん、囚われるという漢字は、人が周辺に囲いをつくっているだけなので、精神的にそれを取り払えば解決する問題もあるのかもしれません。

 国境と言葉を超えるシンプルな映像づくりを目指して、頑張りたいと思います。

 

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