とうとう電通の独禁法まがいの事実がスクープされましたね。昨年初の赤字になったことだし、もう電通なんて潰していいのでは。そして 丸投げ以外の能力をもたない官僚機構も。文章は多少丸めていますから、原文は以下をご覧ください
もし博報堂などの受託事業者に協力をした場合(給付金、補助金のノウハウ流出させたら)おまえら出禁レベルの対応をとるぞ。末端まで監視して さらせと いう恫喝スラッグメッセージ
そんな彼らも この言志四録をみたら気が変わるでしょうか。
P8 はしがき
付記
50をがい(よもぎのことで、よもぎの裏側は白い。つまり白髪まじりを言う)
(略)
百年を期(き) 寿命の最高といい、養う(家族の者が扶養する)
-->今年の9月、「ひゃく」おばあちゃん100歳イベントの50歳が仰せつかる。
まだ半分と思えばなんでも出来る。^ – ^
国や県、市役所からお祝いの品が届く様です。まさに日本中が長寿をお祝いする文化があることに驚きつつ、その中心にいれる嬉しさ。実家付近の海の見える宿泊施設で、親戚一同 宿泊してのお祝いイベント。
盛り上がる会にしつつ、参加するみんなが、普通はまず体験できない有難い機会を、大事にして、学びと発展に繋がるように出来ればと思います。
p.24
14 学問を始めるときの心得
学問を始めるには、必ず立派な人物になろうとする志を立て、それから書物を読むべきである。そうでなくて、ただいたずらに、自己の見聞を広め知識を増すためにのみ学問をするとその結果は傲慢な人間になったり、悪事をごまかすためになったりする心配がある。
こういうことであれば的に武器を貸し、盗人に食物を与えると言う類であって実に恐るべきことである。
–>残念ながら今の政、官僚に言えること。政を決める本人たちが、その立場を利用して自ら悪事を働く。学問が美味しいポジションにつくためのツールに成り下がったのだとしたら、恐ろしい。クラブ活動で3年生の好き勝手出来ることを思い、一年生を堪えるようなものであってはいけないと思う。
今こそこの章「学ぶ心得」を教えるべき。
本来の教育とは、こんな偉人になりたいと憧れる見本がもっと出るべきで、メディアは凄い人にスポットを当てるべきだと思います。そして苦難、ハングリーを幼い頃に味わってふつふつと起こるものを育てるべきかもしれません。
p.27
17 学に志すものの心得
学問に志して人格を磨きあげようとするものは頼むものは自分自身であると覚悟しなければならない。仮にも他人の熱を頼って温めてもらうことなど思ってはならない。淮南子(えなんじ)に「火を他人に乞い求めるよりは自分で火打石を打って火を出す方がよろしいまた、他人の汲み水をあてにするよりは、自分で移動を掘るほうがよろしいと書いてある。
–>
他人に乞い求める=補助金なのでしょうね。
井戸を掘る方法を伝えることは、まさに、いまやろうとしているプロジェクト。
子供は親が貧しくても、放っておいても大丈夫。ただし、興味あるもので、未来の杖に、なるものさえ与えれば考えて発展させていく力を持っている。
子供の学びたいを応援。先人の良き教えを次世代に伝える。魚を与えるのでなく、魚の釣り方を教えるプロジェクトを7,8人で7月からやろうとしています。
p.46
36 学問をする二つの方法
学問をするには自然的方法と工夫的方法の二つがある。自然的方法は自然の道理に従う方法で、例えば、水源から流れ下る方法のようなものである。工夫的方法とは逆に進む方法で、山のふもとから、山頂にのぼるようなものである。山頂は水源のある所であり、麓は流れの帰する所で、難易の別はあるけれども、その到達する究極の真理は一つである。
–>本文は何を言わんとしているか理解に苦しむ。同一点に達するとならば、誰でも易しい道を、選ぶとあるが、自然に逆らうな、ということかもしれません。結局人間の浅知恵で何かをしようと考えても、天意には叶わない。
ロボットを作ろうが、たかが虫一匹作れない。消費期限を延ばすため、添加物による防腐剤をひたすら開発して、結果、身体を悪くするようなもの。農薬まみれの農作物や、天に背く遺伝子組み換え作物を食べさせられ、土壌汚染、貧困を自ら招く。
原点に戻って考えれば、出来立てが一番うまいのだから腐る前にさっさと食べれば良い。工夫は自然に逆らうのではなく、自然界の生物の一員として、人間がそれをお手伝いさせて頂くのが良いと、いう意味ではないでしょうか。
ウイグル人強制労働に関与!日本企業11社含むグローバル企業リスト というアップルやマイクロソフト、ナイキや日立、三菱など、中国にサプライチェーを組企業が、直接、間接で、ウィグル人強制労働に関与している記事をみました。
人件費ゼロは利益を最大化する究極の武器ですが、その背後に中国人に拉致され、刑務所で無料でこき使われる強制労働があったとしたら・・横から水源を奪うようなもので、長い目で見れば、自然ではない無理の多い、外国資本比率が高くなったグローバル企業の未来が危うい気がします。