自然に学ぶこと 寒牡丹編

10年近くブログを続けているので、何度も書いたような気がしますが、とにかくカメラマンのために花は咲くわけではありません。

残念な来訪客

当たり前だと思われるかもしれませんが、実際高価な機材を準備し、撮影する人の中には、一斉に咲いている花を勝手に予想して、イメージを膨らませて、咲いてなかったり、しおれていたら文句を言う人がいるといいます。お前のところはしょぼいとか、他の寺は一斉に咲いていたとか、仕事がなっていないという言葉を浴びせる人もいるとか。(良い花を見たければ早起き鉄則なのに、午後遅く来たり・・・)

自然の中で共生するとは

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それでもやはり花は人間の作った暦通りや、カメラマンのために咲くわけではなく、自然に順応した自分達の個性で咲きます。今咲いた方がいいのか、昆虫はやってきてくれるのか、花粉が乗るような風が吹いてくるのかといった種の保存のため、自然の摂理に合わせて動いているのです。

特にこの冬に咲く二期咲きのボタンは、数千本からやっと1本出てくる特殊な牡丹。無駄な葉を落として、風で折れにくいクネクネと曲がるひょろっと細い枝を骨格とし、じっくりと花を咲かせるタイミングをうかがっています。まさにこの牡丹の種たちは生き残りであり、代々受け継がれて、お庭にそっと咲いているのです。

 

何を学ぶか

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そういえば小豆島のオリーブオイルが注目を浴びる中、農家さんたちの献身なお世話にも関わらず、今年はおかしな気候が続いた結果、大不作に見舞われました。おそらく値上げか今まで以上に数が出てこないでしょう。あるとすればそれは混ぜ混ぜか、マヤカシ。日本はエキストラバージンオリーブを装った罰則がありませんから。

 とにかく自然から何を学ぶか人間の行為で何を学ぶか。人間に見せるためにいっせに咲かせられる冬牡丹のごとく、温室ビニール栽培で春と騙されて育てられて、人間を喜ばせるためだけに数日でイノチを閉じる花はかわいそうだということだけは間違いありません。

 

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