テレビ局からの映像要求

同じソースを何度も流す行為に関して最近、不思議に思います。
音楽などは懐かしのヒットチャートなど、何度流しても見る側は嬉しいし、しかも流れるたびにザル料金のJASRACにチャリンと落ちるから、経済効果という意味では、まだましかもしれません。

画像は記事とはまったく無関係

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しかしうちなんかの古い失敗動画を、YouTubeで映像を見つけたからといって、それをいったい、何社が、どれだけの番組が放送に流したのかもう忘れてしまいましたが、なぜ何度も無償で借りようとするのでしょうか?今度からは会社のクレジット記載をお願いしようと思ってますが。

言いたいのは会社内でせめて情報共有して、シーズン過ぎて逃すなどないように、素材を撮りに行く計画を立ててほしいものです。これをやらないのは、テレビ局のスポンサーと番組がセットであって、他の番組は資本が違うからと、無償であってもテレビに映像が流れることを喜ぶ映像提供者があまりに多いことが主要因だと思ってますが。

 

作業重複の無駄が、双方に発生

例えば1人の記者会見に報道陣がわんさか集まって、テレビ、ラジオ他、大量のマイクを置く。出来た映像は多少の編集違いはあるものの、各社ほとんど変わりません。
これはタレントが複数のテレビ局向けにコメントするために、会社数分、同じ時間を費やすことにも似ています。

本来、個性があるから生きる意味があるものが、同じものを出す時点で創作性ははなく、視聴者にとっても存在の意味すらありません。無理してお笑いひな壇で埋めるならいっその事、放送権の変更を行って、一つのチャネルを複数社で 割振ればいいのにと思ってしまいます。

余ったチャンネルをユーチューバーチャンネルなどにして、真の競い合いをしたほうが、よほど日本の通信資源の無駄にならないと思います。

先の重複の問題は、海外映像など時事通信、共同通信なんかがやってる1ソースを複数会社でシェアしたらいいのにと思います。

YouTubeに番組が出ることを決死で止めていた時代と比べて、アサヒなんかはアメーバーと組んで、ネットシフトも視野に入れたチャレンジをしています。茹でガエルのごとく、熱いと飛び出した頃には、本体が燃えている状況にならないことを願います。

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