もう少し「生」を掘り下げて考えるべき
生きている「証」とは?
それは自分の持てる力を発揮して仕事に打ち込んでいる時に、自分はこの仕事を果たす為に生きている・・・ということを実感すること。実はこの時こそ人は死生という概念から解放されている。
「正法眼蔵(道元)」の生死(しょうじ)の巻
我が身をも心を放ち忘れて、仏の家に投げ入れて仏の方より行われ、これに従い持って行くとき、力をも入れず心をも費やさずして生死を離れ仏となる、なにごとにか滞るべき(とどこおるべき)」とある
知恵の自殺をして、我をも忘れて打ち込めば、仏と一体化して本当の智慧がやってくる。あなたを命が生きているみたいなことなのでしょうか。
死んだように生きる?
禅においては・・・ただ無為に生きる者を「有気(うき)の死人」と言うのは、呼吸をしているだけで死んだも同然だから。
人・・・高い志を持ってひたすら生ききった時、例えその人の肉体としての生は終えてもその高い志はそのまま生き続け、連綿として続いて行くもの。
天皇家が代々続いているワケは、天皇としての仕事を果たす為の己が生であることを自覚して生きて来られた・・・というところにその理由がある、それ故尊いのである
必死になるのは良いこと
本来、人は、何かをするために生まれ、既にその技術なり素質を持っているものである。人差し指と小指の役割の違い同様に。
そして気づいたら今からでも遅くはない。あの伊能忠敬が地図を作り始めたのは、当時は超高齢と言われた55歳。50歳で人さまの弟子入りするのだからまったくもってすごい。
日本の天皇がなぜ偉いかは血統を守っているからではなく、あの村に煙が出るまでは(ご飯を炊く)、雨漏りの屋根を直さないといった国民の安寧と世界の平和を真剣に祈り、願っているから ですね。
薬で長生きしたい~といっても限界があるけれど、やはり志だけが、一直線に未来へと続けていく秘訣なんだということを改めて胸に刻んだ次第です。闘戦経には生きた知恵が隠されています。バ*なのに勉強しない人が都や国の政治トップになるなんて・・・そりゃ他国にも都民にも財務省にもなめられるよなぁ |