高齢社会の訪れ

本当に身近になった高齢社会。

いざ自身が重病にかかってしまうと、仕事どころか生活が一変。家族や関係者、家計あらゆるものに負担が一気にのしかかってきます。

先日、人工肛門にして手術待ちという大腸がん末期の方の話を聞きました。本人は助かるために早く手術を求めていますが、お医者さんの方が体力が回復するまで待つべきとアドバイスしても、早く早くといってきかないようです。

しかし手術が成功すれば終わりでしょうか?ある人工肛門の方の話を聞くと、壮絶な話が待っているようです。一生自由に排泄できない、一度着けるともう外せない、装着場所はじゅくじゅく傷み、定期的にメンテナンスが必要。何よりも近くにいるだけで臭ってくるということ。生きることには変えられないけれど精神からの病も深刻。センシティブな人ほど、他人に迷惑をかけることは絶えられないと思います。

今のつらい状況から脱出し輝ける希望を見出すのが人間だから仕方ないと思いますが、あまりにも手術とか医療に絶大な信頼を置きすぎて、明るい展望を夢見すぎではないかと思った次第です。インプラント同様、異物を体に置く決断は本当に最後の最後だと思う。fruits_tsuke1

生きると生かされるは違う・・・

切ったり、人口のものを体に入れたり、クスリでいろんなところに副作用が出たり・・・とにかく医療従事者でない人の病気に対する不安はつきません。それに病気の人が大勢いる施設は、その名の通り、病原菌があちらこちらにあるということ。絶対感染しないとは誰も断言できません。

難しい言葉も大きな壁です。お金があれば立派な設備が整った大病院で有名な先生に診て貰うだけでよいですが、普通はそうはいきません。ましてや特殊な手術や診療にはお金がかかります。国の保険が使える標準診療と比較して、自由診療はとても重いものになります。

そして40兆の医療費、一年づつ1兆円ずつ増えていく・・
いったいどうすればいいか。

実は我々の資材でその答えが見え始めています。
口に美味しいものより体に美味しいものを!

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