まるでこの世のものではないぐらい
赤や黄色や緑色やオレンジといったカラフルが支配する場所
これは紅葉という世界ですが、冷静に考えたら、木々が生き残るために不要な養分を抑えるために、葉っぱを赤く染めて、落としていく。まさに切り離す恐ろしい行為ともとれますが、これが人間が景色として観たらとても美しく感じるのはとても不思議な感覚です。
ひょっとすると桜の散り際がとても美しいように、紅葉も散ることが宿命づけられているから、似た美しさを感じるのかもしれない。
これを感性的に、DNA的に過去の脳裏なのか、旧皮質と呼ばれる脳の一部なのか 何かが記憶していて、美を感じる。
赤色は本能の色
いずれにせよ赤は血液の色、緊急事態であり、止血しないと危ないからその色を示すし、人間の目はそれに何よりも敏感に感じる、
一方で赤ちゃんが乳を飲むために目が弱くても、赤色乳首を探すわけで、生きるために赤色が必要だったりする。
つまり生きる、死ぬ、という燃えるほど情熱的な事件が起こっていることなのかもしれません。
ある種 神がかった感性を人は備えていて、熊から襲われる際の緊急対応や、木々の生き死にと、自らを重ね合わせて、心の目でそれを観ている。
見るではなく、観世音菩薩の観るなんだ。
いろんな角度から、そして音、感性全体でそのものを捉えることが、そのものの本質を捉える観るということであり、一つの事象でも、ぼーっと眺める人もいれば、深い洞察力でそれを観察する人がいるのが興味深い。
今日知ったことは、弱肉強食、捕まえた獲物を捕食する際に、真っ先に腸から食らうのが彼らの一貫した動作。
つまり、相手の血肉を分解するための酵素を得るためであり、腸内フローラを体内に入れることで、自らの免疫力を高めているとうこと。知らんけど。
あらためて自然から学ぶモノは多く、それに気づいたとき、解る人には さらなるメッセージをその自然は我々に与えてくれるのかもしれない。
そういう意味では、写真を撮るとか映像を撮るといった行為は、素直な心でその人の感性、個性を発揮することに繋がる。うまい、下手ではなく、人によっていろんな表現があるのは当然であり、見えているモノが違うから、面白く深いのだと思った次第です。
以下は動画の切り出しだから楽ちん。シャッターチャンスを狙う写真はほんと凄いと思う次第です。