歌舞伎者(かぶくもの)
歌舞伎役者や、箱・施設所有者、チケット販売に関わるもの、広告代理店などその業界関係者やお金をもらって広告する者が歌舞伎の良さを伝えようとするのは当然だと思います。
が、それは案外、ストレートすぎて、観るものに伝わるものの、目新しいものにならないことが多いです。
が、別業界からやってきた人が考えるアイデアというのは、既成概念がないから、真っ白な白紙の世界で、自由気ままに思い描けます。つまりしがらみがない世界。
これは業界何十年のベテランだからこそ、陥る罠があったりしてそこに想いが馳せられないことが要因かもしれません。師匠と言われたら縛られる
業界ではこれが当たり前だからそもそも発想の起点から除外しているとか、ある時点で別業界ながら、使えそうな技術革新があったものの、それに気付かず、知っててもそれを加味せず、相変わらずのルーチンに陥っていることがあります。
量産時代には良かったものの、現代の感性の時代には、これだけだと、まさに閉塞感を産んでしまうと思います。
ルーチンワークが気持ち良い
記憶の深さ=血管の太さとする脳科学では当たり前とされていて。経験分野には読み書きが繰り返された結果、太い血管が貼られる。メッシュ状に関連要素が連なっていて、まるで片側4車線の高速道路を120kmで走ってもいいと言われた時の如く、スイスイ気持ちよく飛ばしていけるのです。
しかも走り慣れた道、両目を瞑っても走って行ける。脳神経はリラックスする一方で、何も考えずとも進める。
やり手は気持ちいい反面、ユーザ目線では目新しさは何も感じられないという結果に繋がるのです。
もちろん基本は大切で奇抜なものがいいとは思えませんが、他の職種や産業にもアンテナを広げていれば、ひょっとして何かのブレークスルーが産まれると思うのです。(ワクチンのブレークスルーは効かないを誤魔化す幼稚な言い訳)
関連のないものに関連付ける・・・脳は情報と情報をリンクしたがっている(忘れないために)
歌舞伎キャップを付けたキーボード動画
ということで、歌舞伎とは何の関係の無かった者が、そんなキーキャップを発見&付けたために、思わず動画を作ってしまう。過去に何気に撮影した記録動画を当て込む というやり方が良いのか悪いのか、わかりませんが、違う視点から興味を持つ人が増えたら面白いなぁと思ったりしています。
しまった歌舞伎じゃなくて 能だった(誤爆)
無駄な経験も 無駄な人もいない とうのはこういうことなのかもしれません