安土城 人の領域を超える?

木の力2 神戸三宮 木の力1 京都川原町虚像、巨根、異形、幻影 (^^;;

山本さんの、火天の城を読み上げた。

歴史小説としては類を見ない、大工から見た天下人と、歴史的快挙である巨大な7重の城作りをこうも事細かに、流れるように、描かれていて、手の汗を握りっぱなしだった。

織田信長の時代のこと。あの数百万人が関わる安土城建築。任された匠たちのバックボーンにあるのは木や石に対する崇拝と恐れ。これがあってこそ完成したのだと確信できる。焼けてしまったのがほんと名残惜しい。

 

今のプロたちに石や木の声が聞こえるだろうか。

根元150cm、高さ170mの大木を4本、川で運んで、山を持ち上げ、柱にする。信長のおたわむれ、120トン近くもある邪石2万4千人で運ぶ。三日三晩の交代をしてようやく上げたが、その間に何百人も死ぬ事故も起こった。それらに宿る神聖な領域(守り神的存在)は確かにあり、人間ごときが不可侵な領域に手を出すべきでないものがあることがわかる。

今日、改めて京都や神戸で見た木の力。これで何かが宿っていないというのはうそだ

明治時代の四条大橋そして橋の写真は明治時代の四条大橋と、現在の四条大橋の下のアーチ。たむろする水鳥や、サギ、鯉が日向から少し隠れて涼んでいる。

鉄やコンクリートや重機がなかった時代、あの巨大な城を木組で作った。人はきっと、今も昔もさほど変わっていない。いや精神面が圧倒的に弱くなったのだと思い知らされた。

また比叡山を焼いた信長、神仏が嫌いではなく、神仏の名をかたって俗世の富をむさぼる生臭坊主が憎いのだというシーンも、現代の新興宗教などに感じる違和感も同じである。

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