グローバリストの超合理化経営 対 家族経営

今日は6時起きで19:30までみっちり、初の盛りだくさんイベント、なんとか無事配信が終了しました。で、あらためて、いろいろコロナ後の道筋が見えた気がします。

グローバリストの超合理化経営 対 家族経営

グローバリスト=ジョージソロス=家がない人(国や文化を忌み嫌う世界政府を望む人たち)=国を富ませるという概念がない可哀そうな人

結局は人件費が一番大きな原価要素であるから、それを削れば大きく儲けられるのは当然で、中国がウィグル自治区から人をさらってただ働きさせれば、それは安い製品でもぼろ儲けできます。それに間接的にあやかるとされるユニクロなど日本企業の闇も取りだたされており、個人的には片棒を担ぐ企業の製品には興味を失ってしまいます。

確かに国を隔て(へだて)、世界中にサプライチェーンを張り巡らせて、世界中と取引して・・・は、確かにスケールは大きくなり、商圏すべて丸ごと飲み込むような巨大なビジネスを扱う憧れの対象、出来るビジネスマンのイメージがありますね。

ですが、年俸制などで、経営者の判断ミスの罪を社員が負わされる文化では、いつ首になるかビクビクして、苦くても良い意見やアイデアを出せず、社員が豊かに育ちません。結局は雇い主と雇われの関係、悪く言えば、時間で労働を切り売りする関係だけになりがちです。

この流れが行き過ぎると

経営者や株主だけが儲かるけれど、馬車馬のように働かされた社員は、やがて疲労しきって潰れる、また新たな被害者社員が入れ替わるだけの人の使い捨てビジネスになりがちです。

冷静に考えれば、心が辛い状態の人たちが作る製品と、お客さんの満足いくものを、全力の愛情をもって、何よりも、働き甲斐のある会社に皆でしようと、自らを磨き切磋琢磨する人たちが創る製品は同じになるわけがないですね。

これってストレスたっぷり、薬品漬けの乳牛と、北海道の大きな草原で育った牝牛のミルクの味と同じ話ですね。

 

家族経営が負けないはずがない

自分たちの未来のために、知人のハッピーのために、自分が住む地域のために、県や国全体のために創られる製品やサービスは、仮に性能や価格が合理化製品よりも劣っていたとしても、買われていく要素は充分あると思っています。

今日驚いたのは、小学生2年生がミツバチの自分以外のために活動する習性を学び、感動し、入社したい企業として、蜂蜜を扱う企業名を高らかに宣言していたこと。

菅総理、竹中平蔵氏、北海道の鈴木知事、東京 小池知事、大阪維新 吉村知事などが進める役所まで合理化(グローバリスト化)の手法は、アメリカ大統領選挙のバイデン推しメンバー同様、もうとっくに陳腐化していて、日本で税金を払わない世界企業から買うより、身近なところから買う流れがもうすぐそばまで来ている現代、終わっていく流れです。

大阪市廃止の際の赤字の試算をした役人が、市長の脅迫で見積撤回する役所の政治はたかがしれているということ。恐怖政治は悪しか産まない

一方で、人の感動は、まず顧客が顧客を産む流れを持ち、さらに作り手は製品やサービスや行動を変えるポテンシャルを持っていて、家族経営は、日本の作った究極の経営手法なんだと改めて実感しました。

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