自然が一番

最後まで残る欲求

思ったことを相手に伝える、伝わるというキャッチボールは、言語処理能力、ユーモアの部分で、得意な人もそうでない人もいるので、なかなか難しいのですが、綺麗なものを綺麗と感じる遺伝子はよほどのことがない限り、人全般が産まれもって最後まで持っている感情なんだと思い知らされます。食もそうですが(笑)

それに終わらず綺麗=見たいにつながるわけで、本能で自然を呼ぶ欲求があるのだと思います。そう考えると策を弄して人を集めようとするのが、そもそも無理があって、CMを打とうが、タレントに商品を使わせて拡散しようが、お金が無くなれば終わってしまいます。

あらためて人気のお菓子を考えると、ポテチやカール、かっぴえびせんなど、やはり昔から残っているものは強く、新しいものは一過性のものが多く、殿堂入りとなると数えるほどしか思い浮かばないように思えます。

 

本能に刷り込む

これは自身の往年のアイドル世代の人たちの名前ははっきり思い出せても、今の最新となると覚えても覚えられないことと無関係ではないと思いますが、いずれにせよ、本能に刷り込まれて定位的なサイクルで自然と欲求に訴えるところまでに昇華できなければダメなのだと思います。

そうなると、良いものは人伝えや家族などの継承で、次に引き継がれていくはずですから、なくてはならない商品にまで、真摯に商品を育てる必要があると思います。商品だけでなく人も。

かつての新人教育は、長い年月をかけて 日本の将来を担う日本人を育てるという意味で、失敗を許容できる社会全体の温かいものがあったように思えますが、今話題の外国人労働者による雇用調整弁として介護、飲食、建築などにあてがうなどの政策では、ただでさえ学閥やクラブ閥、縦割りや系列など鎖国風土の残る企業文化、役所を鑑みても、馴染めず、どこかでいっぺ返しがくるようで怖さを感じます。

 

まぁそもそも

日本は良い国だからたくさん労働者が来てくれると思っていることが誤りで、先人のおんぶにだっこではなく、ブランドを育て、発展させて、本能的に行きたい国にしなければと思う次第です。

話を戻して、緑、赤、黄色といったある種、木の生命維持の調整弁である葉っぱに感動する人間が、自身も含めて、なんとも不思議な感じがしています。ワインや酒が微生物のおしっこだと考えれば、自然には叶わないのでしょうね。(笑)

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