古事記 勉強会 ダルマの眼はなぜ左から?

素晴らしい先生についたお陰で、この年になってすら、どこでも学べない偏らない学びを受けています。まぁ古事記はもう2週目以上学んだ記憶がありますが、オツムの問題で毎回が新鮮です。(笑)

 

西洋は右が先

確かに西洋は右(right)が、正しいとか、正義とか権利権力という意味を持ち、まさに力=正義として、弱い者に陽があたりにくいモノの考え方が主ですね。

一方の日本は、力なき正義は無力だけれど、正義なき力は暴力という考え方が一般的です。今の日本大のアメリカンフットボール部(日大ラグビー部ではない)は西洋的でしょうか(苦笑)

 

縦糸を通す

選挙でおなじみの「だるまの左眼を書いてから、成就後に右眼を書く」といったように、目標結果という形で意味が異なり、左が最初になっています。

そもそもは親子の関係や、軍隊組織のように、命令系統一貫の上に動かねばならず、逆に横糸は夫婦や友達といったある種切れても構わない関係性があります。身体でも縦は変わりのいないパーツで構成されていますが、横で見ると、目や耳、肝臓などどちらでも変わりがききます。

つまりは目標を立てる、もっと深くは、この世に何をする為に生まれてきたかということが先にあって、そのあとで物質生活として横の生活面が必要になってくるという意味があるのです。だから状況にもよりますが本質的に食うためなら何だっていいは間違い。そして立てる目標は高く深く大きいほど、己もそれに比例するということ。

 

実行ステップ

三種の神器で有名な勾玉はそれぞれ、「目標を立て、正すものは正す」、「社員の生活保障と平等なルール作り」「自己反省、創業期の初心に帰る」という意味があります。

須佐之男命(すさのうのみこと)の仕事放棄に対して、仕事をしないものは邪魔になるだけなので出ていけ!というメッセージは今も通用する奥深さがあります。

というように、古事記は日本人が持っていた道徳感的なものを纏めた至極まっとうなルーツが記載されていることが解ります。真の意味を教える人があまりいないから残念です。

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