花鏡 「金春禅竹」の感想

蜀咏悄 2017-08-27 16 10 28今回の読書感想文です。優れたストーリーは時代を超え、あらゆる現代の作者によって咀嚼され、現代に蘇らせてくれるから楽しい。core i7 3***世代でFHD生中継しながら高解像度録画できるPCを持っていることも楽しい。(笑)

にしても初心に帰るとは現代こそ通じるメッセージなんだと思い知らされる。

p120
それ以前の如く申楽に関する理合(りあい)を文章で記すどころか、楽曲を、書き残した者も極めて稀である。

–>次世代に残す行為は美しく、選ばれた人である。
現代人にも、学びを与える風姿花伝などの伝書は究極か。

p.124
円満井座は山と申楽四座の中で最も古い歴史を持ち、
その血脈は聖徳太子に、近侍した秦河勝に、繋がると伝えるられていた。

–>秦河勝 が眠る相生には神社があって申楽の神が祀られている?!

p.133 中ほど
この年で元次は齢20となり、二つ下の元能は声変わりが終わった齢18になっていた、だが、稽古どころか申楽に対する興味も薄れているようだった。

–>金春禅竹の父が早くなくなり、世阿弥一族にも息子や、義満後の義持による冷遇で、存続危機になるのは人生の不思議。必ずどんな立場でも試練はあるということか。

p.138
やがて、貫氏(つらうじ)の変声期も終わり、すでに観世座での稽古も6年目を迎え、これまでの精進で円満井座の棟梁を嗣げるだけの力量はついていた。
–>6年が、短いか長いか業界はわからないが、雑音の少ないこの時代だからこそ集中力はすざまじく、才能も手伝って密だったことが想像できる。

p.143
人を指導する身になるからには、思いつきだけで言葉を発してはならぬ。常に理合いに沿い、習道の次第を説いてやることが肝要だ。そのためには芸の進捗を見極める眼力を、養う必要があり、

–>まさにその通り。理由なき苦言は感情的なものでしかなく、結果、、公平性を、失い、関係性悪化と、その他への、悪影響となる。

蜀咏悄 2017-08-27 15 24 53

p.173ラスト
かのうに粗末な住まいで、義父上は八年もの年月を暮らしておられたのか…..

–>

島流しで8年もいるという環境はいったい芸はどうなるだろう。また自分だったら何をしているだろう。内に向かわざるを得ないが、これこそ忍耐力が問われる。

p.229 後半
その経験を踏まえ、世阿弥がいかに凄まじかったかを改めておもいしる。長い時をかけたにせよ、二十余冊の伝書を書き上げるというのは尋常なことではない。まさにあくなき求道への執念である。

–>何かを伝えようとする意思が強いほど、執念が産まれる。やはり自分との闘い、本気度を試されるのか。

p.243中ほど
世阿弥の奥書には、こう記されていた。然れば、当流に、万能一徳の一句あり。初心忘るべからず。この句、三ヶ条の口伝あり。是非の初心忘るべからず。時々の初心忘るべからず。老後の初心忘るべからず。
–> 所詮、極意、、秘伝の類いは多少のノウハウ・技はあっても、ほとんどは本人の精神に訴える物しか役に立たないだろう。なぜなら世にコピーは不要であり、それを超えるためのツール、ステップに過ぎないのだから。

離見の見も、緊張の中で全力を出させる圧倒的な練習量と自信が、ある極度を超えると冷静さとそれを楽しむ境地になる=舞う自分を少し上から見える至福に包まれる。

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