久々に聖書の勉強会に参加。聖書を忠実に学び、純粋な精神で高めている先生の話は、なかなか深く伝わります。
自身はクリスチャンではありませんし、仏教徒でも神道の関係者でも、儒教マニアでもありませんが、やはりそれぞれ深く学んだ人にものを教わることは、とても有意義な時間です。
ニュージーランドの外人さん
帰り際に外人さんがスマホをもってうろうろしていたので、声掛けしたら、知人のところの家を探していると1枚の紙きれを見せてもらいました。京都行って、今日は大阪だそうです。
結局、その住所に行ったら、家族が出てきて、その人知らない と 娘さんまで出てきて、一同、互いに初対面同志 変な混乱をしかけましたが、電話番号のメモがあったのでかけたら、その友達(外人さん)が駆けつけてくれました。解りづらい場所だったようで、住所をはしょったようです。
最初から彼が電話すればよかったのですが、彼らはシムフリーでないためかけられず、GPS地図だけでなんとか近くまで来られたようです。Facebookなどのメッセンジャーでも良かったような・・・昨日もスカイプ途中に外人さんに堺筋をガイドしたし、夜は案外交番も人もないから徘徊している人も多そうですね。
以下今日いろいろ学ばせてもらったメモです。
許 す
過ちがあったとしても大きなものは処罰はそこそこに、許してあげないとその人はつぶれてしまう。これこそがサタンの策略。つまり、誰からも相手にされなくなったら、死へ向かうかもしれない。
許すという行為はサタンの存在をださないまでも、その人を孤独にさせないという意味があるのですね。パウロ自身が迫害をしていたのだから当然ですが...
弱いから強い言葉
神の御言葉を伝える役割を担うのは、いつも不自由なもの、無知な者。これは権力者や、知恵や知識で囚われているものには、通常の人の言葉では通じないということでしょうね。ますぞえさんや、あべな総理、広島にきたおばまに もの申すのはお子ちゃましかいないかもしれません。
コリント人 反乱のワケ
- パウロの使徒権
- パウロの外見(見た目がいけてない)
- パウロの弁舌(話がうまくない。)
- パクロの独身生活
- 謝礼を受けとらなかった
- あらゆることに迫力がない
- 約束を守らなかった
- パウロ内のキリストの霊
- パウロ宣教献金について
- パウロの持病を問題にした
これは現代にも言えることですが、民衆の心をとらえ、騒がれるものの多くは、目立つもの、はったりや調子の良い輩が、多いということ。
当時のコリントでも50歳代で未婚、見てくれが良くなかったから、女性受けが良くなかった。ましてや持病を持っているとなると、キリストの霊が宿るわけがないと思われるのも当然かもしれません。
たしかに小さな声で、メリハリをつけないしゃべりも、迫力(説得力)にかけるというのもわかるような気がします。しかし弁が立つ人は1時間ぐらいが限界です。彼は話は下手だったようですが、伝えたいことで溢れていたから深夜まで話す気力があったみたい。
メッセージ中に口から泡をふいて倒れるなど、彼はてんかんを患っていたそうで、すごい精神力だと思います。この弱い体になったのも相当な迫害をうけたからだそうです。後天性のてんかんなら、うちの漬物でかなり改善したのに残念です。(笑)