ICTで学校教育が変わる?

大型化が落ち着いたディスプレイ、このあり方が変わってきました。

テレビの方向性

写真 2016-05-21 21 51 253Dテレビが一時期流行ったことは、もう もみ消したいとばかりに、4Kとか8Kという数字だけが強調された今の時代(TV放送のほとんどがFHDの2Kすら通信してないのにねぇ)、様子が少し変わってきました。

太陽のようなまぶしい白をHDR(ハイ・ダイナミック・レンジ)が担い、有機ELディスプレイで色領域が広がり、黒がしまる新しい流れがきています。

その一方で、大画面はもう不要、手元10cmで自分で十分。大画面のスマホディスプレイや大きくなったとしても8インチ、そして10インチのタブレットサイズと、ディスプレイの二極化が起こっています。

 

学校の教育システム

こんな技術背景の中、進化から置き去りといえば学校。どちらかというとITに弱い先生が多い公共の施設。それがITを得て、大勢に向けての授業スタイルに変化が起ころうとしています。

そもそも企業では、講師の書く時間の無駄をなくすため、PowerPointなどを使って、事前に画面いっぱいに情報を詰め込み、見る人に短時間の理解を強制するのが常です。(結局は資料配布になりますが)

さすがに学校は、解らない人がいても自己責任と切り捨てはできません。まさに公共の教育システムなので、大きな板に、ゼロから書いて平等に理解を深める必要があり、画面をゆっくり共有する仕組みは外せません。

 

ICT教育システム

まさにこの未来のITは、ここにやってくるのです。電子黒板は既にありますが、あまりに先進的過ぎて、使える人は限られているでしょう。

それよりももっと緩やかなITアナログとデジタルの良い融合が現在のトレンドとして提案され始めています。

例えば音楽の授業だとして、五線譜の背景だけをプロジェクターに投影し、その上に音符を書いていくスタイルがあります。これなら線を書く時間がかからず、いい塩梅に音符を描いてゆける。消して音符だけ書き直すのも簡単

また、デジカメやスマホなどで撮った写真を投影して、文字でその解説をしていくこともいいでしょう。

まさにこの中核となるのが、アナログ、特に手描きになるのです。

写真 2016-05-20 20 20 26手描きは当人の個性・アイデンティティであるとともに、昔から変わらない解りやすい伝達手法なんだと思います。

これに生中継が入ってゆくと考えると、やはり、大学のそれが世界戦になっているように、教え方が下手な先生(テクニカル、伝達力の有無だけでなく、心の教育など情操教育面も含む)は駆逐され、真に日本人を世界で戦えるようにする人が、大きな役割を担っていくだろうと思います。

こうなってくると、ぬるま湯感の視点で、公立より私立の方が優位だろうという人もいますが、実際はどうあれ、進化するものが重宝される世になるのは間違いありません。

AppleがiTunes Uでやる試みが勝つか、仕組み頼らず、アナログに少しのITだけで生徒に伝えるYoutube授 業がいいのか、医療とIT同様に面白い時代になってきましたよ。

 

余 談

黒板はホワイトボードと比べて初期導入費が高価ではあるけれど、伝統があるとか、知的障がい者がチョークを作っていて仕事を奪うなとかという以上に、視覚的なサポート面で意味があるようです。

例えばホワイトボードに黒マーカーで書くのと、黒板に白チョークで書くのと、どちらが視認性が高いか?また目が疲れないか?

想像通り、圧倒的に後者の黒板です。人間の白目と黒目との関係はないと思いますが、明るい背景は、反射して見えにくくなり、かつ蛍光灯を手元で見続けている行為は、長時間持たないのでしょうね。チョークが体に悪いという迷信も、マーカーと比べて同じようなものだと思います。

さらには、マーカーのコストは大きく、白い部分に汚れが積もっていきます。まぁ当社のNatuoなら、安全に漂白剤など使わなくても、驚くほど白くなりますが(笑)、黒板なら傷んだときも、塗り直せば新品同様です。

新授業スタイルでも、背景は黒をいく人が、心理的にも優位に立つ時代がくるのかもしれません。

コメントを残す