女子高生が動画する時代

何度も書いた気がするけれど、もう特別な人だけが動画を使うわけではない。

カップルの会話

今日、何気にファーストフード店で、横に座ったカップルの会話がわたしの耳をとらえて離さなかった。

おんな>もってないの?

おとこ>あぁ

おんな>あんたが持ってなくても、
いまどきデジタル一眼レフなんて誰でも持ってるでしょ。

おとこ>ああ

おんな>探して頼んでよ。
うちらのバンドのプロモーションビデオ!

おとこ> そうやな、わかったよ。

 

まさしくプロ ピンチの時代である。

そう、映像クオリティは既に誰が撮ってもそれなりに見える様になった。

少なくてもプロとしては小一時間、彼らに説教できるネタは確かにある。中身見せ方といったディレクション視点経験からくるバリエーション照明特機含めた高度&高価な技術では圧倒的な差がある のは間違いない。

ただ、とても残念なことに、Youtubeで見られる映像=お金がかかった作品ではない。

今や小学生、中学生時代から映像に親しむ子供は、同世代や年齢の近い世代に響くコンテンツ作りのノウハウを知っている。いや、安まることのない情報社会の中、自然に身に着けてたといえる。

 

驚く感性

スクリーンショット (71)既に最近動画を発信しない人気Youtuberをネタにものすごい数の映像を見たときは驚いた。「おぉどうした**!最近出てないじゃないかおまえ、登録者数が目標達成して腑抜けになったのか」とか、今日見たものは「百貨店でその人の名前を迷子案内として、受付に伝え、見事館内放送させるところまでをドキュメントで配信していた。しかも探し主は、Youtubeリスナー だと受付で言い切った。」

明らかに社会の迷惑行為だが、身勝手な善悪の境界線で活動しているだけに、視聴者があおればさらなる過激行為にもつながるだろう。

知ってる人と知らない人が犯罪をおかした際、どちらが宗教的に悪い人だろうか。なんとなく知らないで犯した方が罪が軽いと思われるけれど、実はその逆。知識がないから首都の長は特別な王様だから豪遊しようと、金を使い込もうと、それ以上の仕事をするんだからいいだろうとか、スキャンダルがありすぎて過去のスキャンダルから忘れられる大統領候補とか、隣の国にミサイルとか 軽はずみな行為を重ねられる。これは本人が罪の意識がまったくないという点で、宗教的に罪がとても大きい。

 

NEWTUBER

話を戻して、先のニューチューバ―(新参のYoutuber)の良い面を強引に探すとすれば、常識では考えられない行為を思いつくということ。これは世代間の感性という障壁だから、プロや大人が子供(餓鬼)の心に近づかない限り、彼らに見てもらえる映像制作は不可能である。

もう国民アイドルは事実上存在せず、地域ごと、またはもっと小さなコミュニティーの中だけに存在する。

まさにこれがコスプレでいうコスプレパフォーマーだったり、1万に満たないチャンネル登録数を持ったプチメディアである。

 大人、いやプロがやるべきことは、やはり教育コンテンツしかない。彼らにおもねる、つまらないゲームや、頭を悪くさせる心理学を駆使したはまらせて荒稼ぎサービスではなく、彼らが逆立ちしても出来ない先人の知恵集や社会に出てから絶対に役立つ言葉、常識など、生きる知恵を授ける長老的なことでしか、彼らの心を惹きつけることはできないのだと思った次第です。

本動画は、疑似ホワイトボードでの生中継の練習です。

コメントを残す