江戸吉原 ~闇が生み出す江戸の虹

図書館でふと目についた雑誌「東京人」

写真 2016-04-04 20 20 39何が面白いといって、単なる売るがためのなんちゃって週刊誌的記事とは違って、とても深く掘った記事群であること。古い写真や浮世絵に加え、高橋是清が出てきたり、様々な視点からほぼまるごと一冊、学問書のように書かれていることでした。

時間切れで2割も読み切れませんでしたが、おおよそ知らないことばかりがズバリ書かれていて、勉強になりました。

引用

東京人 2016.4月号
江戸吉原 ~闇が生み出す江戸の虹

遊女という定義

  • フリーランスの女官として平安時代という時期に始まる
  • 平和のシンボル、復興と平和と文化を象徴する存在。としての扱いだった.
  • 島原の最高位の、遊女、大夫には、朝廷から正五位の位が与えられていた。
  • 楽器の調べに歌舞を尽くし、衆人を慰め賑わせた。

 

三大遊廓

新橋公園の桜 ここも遊郭?

新橋公園の桜 ここも遊郭?

幕府が認めた商業地、京都島原大阪新町江戸吉原。一晩の費用は数十万円から数百万円だといいます。ゴージャスな話では、たくさんの桜を毎年 吉原に植えて、人々を楽しませた。

やがてここにもカジュアル化の波が到来。客の方にも次第に新興商人が出てきて、むかし芸者は芸を売ったが、高価&面倒ということで、主導権を目的買いの安いランクの岡場所に奪われていく。

 

揚屋と茶屋

昔、茶屋というとほとんどはそういう意味。あげやは、高級遊女向け。茶屋はそれ以外

 

大阪新町の成り立ち

加藤清正の、家臣のひ孫が大阪城西南の、よしのはらを開墾し、京都伏見から大阪道頓堀に移動。当初、行商人漁師相手が主だったので細細経営だったのが、大阪から京都まで遠くてやだ、、という、大阪の金持ちがやってきて繁盛。商人の社交場となった。

 

新吉原で経営者 総入れ替え?

謎にせまる記事では、吉原が焼けた後の新吉原になって、38年間牛耳っていた全ての有力者が、総入れ替えになったということ。明らかに政治が介入し、揚屋の大半は南知多衆であったことが指摘されている。

 

花魁道中のおこり

花魁道中太夫道中といった華々しいパレードは、客が貸し座敷の個室を押さえ、彼女達を呼び出していた。貸し座敷には防犯と風紀上、布団がなかったので、花魁は自分と客の布団などを男衆に担がせて行ったのがはじまり。

 現代も女性アイドルグループが高貴な外国人のアテンド?役となっているという信憑性の高そうなうわさがありますが、昔の人は教養があって、キレイで、芸 がある。そんな文化的な接待が出来たから、夜のお供をしなくても宴での会話だけでも重宝されたのだと思います。現に高貴なレベルになると一見さんはお断りで、なじみの 旦那だけといいます。そういえば日本に入ったコーヒーを最初に飲んだのも遊女だといいますね。

写真 2016-04-04 20 37 25また当時は吉原出身といっても差別がなかったことからも、世の中の深く暖かい理解があったのだろうと思います。

まさに今で言うところの秘書、いやスーパーコンシェルジュなのかもしれません。残念なことは現役は20代前半として、30、40代で亡くなる人が多かったこと。

あぁ図書館からの帰路、新町を通ってしまった(笑)

 

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