今日は聖書の勉強会。こちらも神道、仏教、中庸、大学同様に手描きでのノート化をやっています。
もう手慣れたもので、どこにいても持っていける手軽さは、ノートの比ではありません。さらには手書き文字をOCRで電子化すれば流用も簡単になります。
さらにさらに手書きでも検索が可能とのことで、画像認識技術の発展で、検索性が増すとビジネスでの活用は間違いなく向上するのは間違いないことが解ります。日本メーカーは企業に鍛えられて、良いものを作っています。CPUなどのスペックは低くてもApple Pro、SurfacePro4より断然いいと思います。
Appleキーノート(プレゼン)
Appleのスティーブジョブズの発言や行動を、プレゼン視点で学んでいますが、明らかにユーザー至極を目的としていて、発言の節々にもユーザの利用シーンを見据えて、クリエイティブを加速させることを真に考えていることが解ります。
一方で今のApple社の動きと比較してみると、明らかにまたまた脱線しているように見えます。お尻ポケットに入らず無駄に大きくなっていくスマホに、それと連携できる1日も持たない怪しい時計、10万以上する大きなiPad、3DTouch機能といった意味不明な仕様は、とってつけたような気がします。まるで枯渇ポイントを増やして次バージョンも買わせようとする戦略なのか。ジャーナリストだけに売っても儲かるのか。
そしてさらには、新型iPhone7では現在主流のヘッドホン端子廃止し、Lightning端子に統一とのうわさもあり、周辺機器含めたすべての流通を監視し、手数料を取るという戦略が見えます。高価なヘッドホンやイヤホンを買った人や、光のアクセサリーを買った人のことは全く考えていない。もう戦略というより策略。金を巻き上げる部分しか見えていないのではないかと思えます。
欧米流と日本流の違い
欧米の考え方と、日本の考え方の大きな違いは、生活シーンの様々な場面で見出すことが可能です。
たとえば、ベッドと畳。ベッドは寝る人間が限られてしまって不便ですが、畳は布団を並べて引けば、部屋の大きさに合わせて何人でも寝ることができます。悪友とひっついて寝る楽しい思い出がある世代も多いでしょう。
またフォークやナイフ、スプーンといった器具は、無駄にたくさん必要になってきます。特に相手がなんだろうと、突き刺す、切るといった自分の主張が強い考え方。
日本のはしは、相手に合わせて大きさを変えられます。これは風呂敷にも共通する文化で、つまり相手も尊重しているのですね。
欧米の、特に米国流のプレゼンはごり押し、ブルドーザー流。日本人も見習わないといけない部分も多いながら、相手に遺恨を残すことも多いです。
スティーブジョブズは?
そう考えるとなぜ彼はそんな考え方ができたのかが不思議に思いますが、彼は実は日本の禅を学んでいたことが知られています。
ワクワク感を貯めるためにギリギリまで秘密を隠すというジョブズの考えとはまったく違ったマーケティング理論が全面に出すぎているような気がします。
聖書を学ぶことは
世界史を学ぶということ。
世界の歴史は戦争の歴史ですが、力で意味なく領土を拡大しようとすると滅びるということを繰り返していることが解ります。神さんがいたとして、そんなこと望んでいないということも。神の計画外のことをするから滅びるのでしょう。
にしても王さんの首をとって、血の中で浸して遊ぶというのは、日本流にはないかもしれません。信長が浅井長政のどくろを盃にして飲んだのとはちょっと違う・・・
あと難しい名前ばかりで日本人にはなじめない・・・せめて磯野勝男とか、たらちゃんとか、わかりやすい名前にしてほしいですねぇ。 |