角川文庫 冲方丁著の文庫版『光圀伝(上)』、『光圀伝(下)』をようやく読み終えました。
月に一度、中庸、大学、古事記など四書五経や、日本の歴史書を学んでますが、次回の宿題として、受講生が感想を言い合うテーマになった本でした。
感想&武士道の変化
日本人として、ぜひとも一度見る価値があると思います。
冲方丁さんは初めて読みますが、詩吟や漢詩の部分もあって、読み進めるのに時間がかかりましたが、とても深く、読ませる内容になっています。
評論でも書かれているように、SF的要素もあって光圀没後の赤穂浪士の討ち入りのはずが、光圀の語りに入っていたり、武蔵や沢庵和尚との出会いなど一部、年代など合わない部分もあるようですが、光圀の思想はこういうプレッシャーで作られたんだと思わせる出来事や、出会い、人の死が、次から次へと展開され、大きな流れが見えてきます。
もちろんすべての中心は、儒教でいう それが義か、そうでないか ということ。
その背景は、政治の中心である幕府を、御三家が守るという立場もあって、厳粛に政治の暴走を止める役割と責任があったことは間違いありません。また創業者である家康が自分のおじいちゃんであった威光がまだ残っていて、幕府がトップが誰になろうが安泰だったのでしょう。
主君が自分のこの才能を認めないなら、見限ってやれ!という下剋上よろしくの、戦国時代の武士道から、儒教的考えである政治に義や道を見出し、武士道とは死ぬこととみつけたりという、己との戦いである武士道へ変化させたのも、この時代からでした。国が安定し、武力と文が逆転したこともあります。(幕府としては、民に対しての義を説けば説くほど、田畑をダメにする戦を出来ないように、逆らえない仕組みをするメリットも多かったのでしょう。これの行き過ぎは、今のブラック企業を作ってしまうことでしょうか。文中にも部下を酷使して疲労させるシーンが出てました。)
水戸光圀のイメージ
そもそも水戸光圀というと、水戸の黄門ちゃまのイメージがあって、全国各地を旅しながら、この印籠が目に入らぬか!というセリフで一件落着するような、ヒーローものとして描かれることが多いご隠居さん。
しかし隠居後の黄門さまが、地方にいった記録はほとんどないようで、水戸の中だけの話を大いに脚色、クローズアップしたものと思われます。しかし偉大なことこそ伝わらない、伝えない、閲覧者も芸能情報の方が興味ある今、まさに著者は素晴らしい仕事をされたと思います。
この著書では子龍と言われた幼少期から御三家 水戸藩主二代目になり、三代目に譲って、隠居後 亡くなるところまで描いています。
やはり最大の功績は、前の記事 便利ツールの光と影 !? でも触れましたが、やはり光圀の行った、彰考館を設けて『大日本史』を編纂し、水戸学の基礎をつくったところ。これが日本の歴史をまとめる礎になり、今の我々があると思います。まさに道をつくった。神の道、神道にも通じる考え方です。
偶然 子孫に会った・・
水戸藩士&彰考館で学び、『大日本史』の編纂に従事、そして自らも天保2年に彰考館館長に就任した会沢正志斎(あいざわ-せいしさい)の子孫に、お会いしました。
会沢正志斎は、水戸藩主の8代、9代の時代だというから光圀から数えるとずっとあとの話ですが、こうなると遠いようで近い過去にも思えます。
ちなみに、この会沢正志斎さんは、幕末に尊王攘夷派に大きな影響を与え、吉田松陰も彼に学んだという記録が残っています。
しかもこれから仕事で長い付き合いが始まりそうで、恐縮しております。
とにかく大政奉還含め、幕末という日本の歴史を大きく変える変化に、水戸が重要なポジションだったことも、良くも悪くも、優れた学問所があったから。討幕で攻める方も守る方も、学びがあったから江戸無血開城がなされ、子供から大人まで学があったから、西洋の植民地化から防げた流れが、見事出来上がっています。
今の、道も目標も道徳も見えない混乱政治を見ていて・・・この時代の光圀の命はなくなっても、思いがつながっていく・・・朱子学が水戸学に進化し、良いところを日本流に取り込み、政治に活かし、大きな道をつくることこそが究極の政治だと、改めて強く思いました。
この本には立派なHPがあるようですね。
興味ある人は以下どうぞ!