史書とは歴史を記した書物、歴史書
江戸時代、水戸光圀が、日本の歴史を編纂する事業を大きく前進させました。
この時代はもちろん、一般庶民が学問を学ぶ場所はありませんでした。大きな藩でも、藩主や家老に近い上位のものたちが唯一、一部の優秀な人材を奪い合って、学びを深めていたようです。
戦国の世が安定しつつある一方で、仕事がなくなる侍たち。最後の戦を知る家康の息子たちが尾張、紀伊、水戸など御三家の藩主だった時代でした。
江戸の6割が焼け、江戸城天守まで焼けた最大の大火では、林羅山達が編纂していた史書や、膨大な書物群が消失しました。
まったく戦(いくさ)を知らない、家康の孫である光圀達は、この国の行く末を案じ、違う意味での激動を味わっていたに違いありません。
当時、日本では儒教は正式に認められておらず、仏教式の違いも大きく、障壁も大きいようでした。
歴史を編纂するといって、幕府の立場において、天皇の出生含めた過去に触れていくということは、大きな障害が立ちはだかります。結婚などで血縁関係にあったとはいえ、南北朝の結果は正しかったか、ひとつとっても難しいし、公家所有の文献を借りる交渉をするのに、江戸から京都までいく必要があったり、営業マンを雇って注文を取ってくるのとはわけが違います。
光圀が進めた儒教をベースとした学問は、普段、わたしも学んでいるのと同様、義や勇、中といった言葉が頻出しますが、やはり中庸はどの時代でも通じるのだなぁ、合理的に突き詰めていくことの大事さが確認できます。
とにもかくにも、光圀は大日本史編纂という大事業に乗り出すことになります。そしてこれが水戸学の基礎をなし、新たな武士道が産まれ、あらたな規律や学問道場を作るきっかけになっていきます。
自分一代では到底なしえないことでも、志を高くし、突き進んでいくことの大事さを学べます。
現代の便利ツール。
やはりクリエイト能力を奪うデメリットがあると感じます。
LineやTwitterは便利だけれども、詩吟のように素敵なメッセージも稀に生れますが、そういった文化的な引用を交えるならまだしも、多くは腹減った とか、うまかったとか、意味あるようには見えない短文しか書けなくなるというのは、やはり先代に対して失礼な気がします。企業は広告ツールにしたいのだろうけどなんか不毛・・・
こう考えると、やはり電子メールが、主題も必要ですし、文章を完成させる必要があり、通信の基本単位だと感じます。
ちなみにメールはプロバイダーなどと契約して独自ドメインを経由したものがベスト。なぜなら第三者に見られることを前提とするメールを使う時点で、本気ビジネスではありえないからです。