昨日のような修理は、各々がやるべき事柄だと思うのですが、本来は古事記の修理固成は国の方向性を決める重要で深い内容なのです。
修めることは、学ぶとか収める、といった簡易な表現では表せない深い意味があって、生涯に渡って研鑽に研鑽を重ねて自分のものにする、血となり肉となるまさに、修行の以上の意味がありますから奥が深いのです。
いずれにせよ、この国の成り立ちは、神々から諸々の命令によって、この漂える国を修理固成せよと仰せになって天の沼矛(あめのぬぼこ)を与えられたところから始まるのです。
ということで、今日はこの言葉が刻まれているという神社に行ってきました。
驚いたことに手水をした直後、本殿は突然の大雨に見舞われました。幸い、2,3,4人と、手を合わせる人が続いたこともあり、私は屋根のある手水のエリアでそれを待っていました。
もちろん、刻まれた文字を写真で写しとるためにデジカメを構えていたのです。
するとどうでしょう。数人のお参りが済んだと同時に雨がやんだのです。まるで写真をとるならちょっと待ってねと、清める終わるかのようにジャストだったから驚きです。
この神社は地元の氏神さまとして古くから祀られています。
素晴らしい機会に感謝です!