名も無き木々の紅葉に 癒やされる 高雄付近 清滝川 神護寺周辺

#神護寺 #雨上がり #京都 #紅葉 #清滝川

美しいものに出会うと 言葉がなくなる

神護寺を出て、まさに雨上がり後に立ち寄ったのは、清滝川沿いのエリア

ダムがある散歩道を抜けると とても美しい景色が広がっていました。

 

名も無き木々にも歴史がある。

いや、これだけ大きな木を長い間維持できることが 人生の大先輩であり自然の凄さを物語っている。

この形、情景がこんなにも簡単に出来るわけがない

改めてキュウリなどの農作物は、事細かくサイズなどの規格が決められていて、しかも農家さんがこれを振り分ける作業をさせられている。本来は個性の通りのびのび育つ野菜の法が美味しいのは間違いないのですが、何を勘違いしたか、同じ高さでまっすぐなものが良いという風潮があある。売る方も買う方も悪い。

工業製品じゃないのだから、同じ規格で出来た 人間で言えば金太郎飴のような つまらないものに、これからの激動・変化の時代に応じて柔軟な対応力が求められる社会で活躍できるわけがない、まさにおかしいことがあちらこちらで行われている。

その究極は、農協であり、無料で渡していた糠をやめたり、ずいぶんと昔から金貸し、金融業に成り下がり全く農業に関して聞く耳を持たない者が多いといいますから恥ずかしい限りです。役所や農協自体が工業製品なのかも。

ということでとても美しい景色に出会えたので映像に残した次第です。

社会の問題は数多くあるけれど、要因のほとんどは人間が作り出したもの。

答えは自然が用意してくれている。

牛の出産含めて、改めて人間は自然に寄り添うだけでよいのに、必要以上に実らせたい、もっと早くもっと早く、利益率を上げたいという、人間のエゴが、作業範囲を超えた悪行がトラブルを大きくする。

自然と調和するという言葉は わかりづらいですが、共存共栄のごとく、既にいる微生物や昆虫、鳥たちがやっている生態系に人間が戻るだけなんだと思った次第です。

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