2時間素材を15分程度に短縮する 難しさ

何度も観て 相手の真意を読んで 観た人の感じ方を想像しながら前に進める編集

たしかに映画は準備も撮影も、予算も何かと難しいと思いますが、ドキュメンタリーもなかなか難しいと思った次第です。
改めて短縮作業を懸命に行っていますが、何を消して何を残すか というのは、その話者の立場になって、思いを馳せる必要がある。

映像は顔の表情も重要で、さらっと話した言葉と、考えながら絞り出すように出す言葉がある。

その際の画角はカメラマン次第ですが、いずれにせよ、良い素材を生かすも殺すも編集者になってしまうということ。

そして統一感なく、並べるのは簡単ですが、それを観た人にある種の、時間軸やストーリー性を残し、映画とまではいかなくても、それなりに自身のアクションに繋がるようなきっかけにする必要があるから難しい。

 

日本の絵画や、日本の映画に間が沢山ある

その 観る人が最後のパースを埋めることでそれが完成するから。アメリカ流のどうだどうだ!といった身勝手なものは、浅いし、味わい深くないことが多い。それが世間の嗜好性・志向性をコントロールするために出来た ハリウッドクオリティなのでしょうが。

当然、スカッとするとか、ひたすら笑うとか、娯楽として流されるコンテンツもありますが、ドキュメンタリーや企業の周年ビデオは、また違った切り口が必要なのは間違いありません

堅すぎたら面白くないし、息抜きもいる、ただし上映尺は決まっていて ある種パズルのような感じ・・

いずれにせよ、大きな大タイトルに従って 収録しているわけですが、編集手法でいくらでも印象が変わってしまうから、難しい。その企業の体質によっても変わるし、時代背景によっても違う、何よりも大きく社会情勢が変わっていて、その中で、相手の立場になるという難しさを、心底味わっている次第です。

にしても、何度も見慣れると、初見の人の感覚が薄れていくので、削りすぎて 意味がわからなくなることだけは避けたいなぁと・・・

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