投資の神様 是川銀蔵 塩釜神社、流下式塩田(福浦地区)を訪ねる

是川銀蔵さん

元は岡山だった福浦地区に 廃止当時のまま 流下式塩田の堤防や枝条架の基礎が残っているとのことで出掛けてきました。

訪れて偶然知ったのですが、塩釜神社の入り口の石柱には、赤穂出身 最後の相場師 是川銀蔵の名が刻まれています。

江戸時代 潮の干満差を利用した入浜塩田が開発され、質・量とも日本有数の塩産地になった播州赤穂。そもそもは、ユダヤから様々な技術を持ち込んだ秦野河勝氏が製塩づくりを伝授したとされる。(秦野氏が伝えたものの中には機織りもあり、西日本に富をもたらした

「菜の花の沖(司馬遼太郎著)」でも有名な北前船北海道でニシン漁をし、腐敗を防ぐため良質な塩を得るために赤穂に寄港し、食材を上方へ届けて大儲け。一航海千両と言われた北前船は、小さな港や集落にも経済的繁栄をもたらしたのです。

 

赤穂浪士討ち入り

それはやがて江戸時代 元禄、塩で繁栄した赤穂が、吉良上野介に恨み、ねたみを買い赤穂事件、忠臣蔵に発展するようになりました。

それぐらい塩は街を潤し、人を健康にし、良質な循環を作っていたのですが、どこでも簡単に作れる化学に負けてしまった。しかも減塩が叫ばれた一方で 代わりに化学で作った味の素(化学調味料)や血圧降下剤が売れる形になっている。それに体も負けてしまい、40兆円(毎年1兆円ずつ増える)大儲けビジネス市場になっている

神さんは健康維持に金がかかるように人を作っていないのに、現代は世界の4割の薬を日本人が消費してるのは、なんだかなぁと思うわけで。

 

引用【古池塩田跡】

古池塩田は、江戸時代後期、干潟を干拓して開発された塩田でした。長らく入浜式塩田として製塩を行っていましたが、昭和29年に流下式塩田に転換しました。

昭和38年に福浦地区は赤穂市に合併され、古池塩田は赤穂塩田に統合され製塩を続けていました。昭和46年赤穂塩田が廃止され製塩を中止し、古池塩田もそのまま廃止されました。

赤穂市内でも古池塩田だけが廃止当時のまま残されており、
流下式塩田の堤防や枝条架の基礎が残っています。

https://tabitoshashin.com/spot/spot-kiji.php?id=712

日本遺産 
文化庁は2019年05月20日 「『日本第一』の塩を産したまち 播州赤穂」を日本遺産として認定した。
http://www.ako-minpo.jp/news/13726.html

荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間
https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/stories/story039/

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