日ユ道祖論
日本人の祖先はとユダヤ人だというような説もありますが、真偽のほどはともかく、同じ相撲文化があったり、技術をもらったり、同じ言葉があったりして、日本といろんな交流があったことは確かだと思います。
例えば聖徳太子の片腕として活躍したのはもちろん、太秦映画村あたりには秦と書かれた苗字の人が多いことも、機織りが発達したことも、良質な塩づくりで赤穂が栄えたのも、世阿弥などに影響を与えた雅楽(ががく)も秦氏が関わっていたとされています。
そもそも渡来人である秦(ハタ)氏の一族が当時の人口600万人と言われていた日本に、19万人もの民を引き連れて日本に渡ってきたという説もあって、その中心人物だった秦河勝にちなんで、日本各地に地名があるのは、技術を伝えた彼の功績を考えれば当然のことだと思います。
大避神社
政治で追われてこの地で最後を迎えた赤穂市の大避神社には、ダビデの神さんであるイサライ、ヤスライの井戸があり、洗礼の池が残っています。井戸を覗くと12の石、つまりイスラエルの12部族を示す儀式があったことが現代でも確認できます。原始の森が保たれ、古来より神域として人の立入が禁じられてきた生島は、秦河勝の墓があり、墓前祭が毎年行われています。
興味ある方はぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。