京都で神楽(かぐら)を観た

仕事で汗をかいてはいけないとか、ブッダが作った教えを引用しているのに、仏弟子が作った人を神と崇める宗教がある中、神を楽しませることを儀式にする神道というのはとても興味深いなぁと思います。

特に生贄(いけにえ)というものも不要だし、巫女の頭に季節の花を取りつけて、舞を踊って喜ばせるということに、人間らしさを感じます。お供えものは後からみんなで食するわけで、無駄がない。(愛という点ではキリスト教、論理的教えでは仏教がベストかもですが)

決して創造主でもない日本の神さんは、たとえば古事記では、役割り毎に縦にも横にも別れてたくさんおわしますし、亡くなる神も、荒ぶる神も、間違いを犯して上司から叱責をくらう神も、酒が好きな神も、お願いを叶えてもらってもお礼報告しにいかない神もいる。つまり地球も太陽も月も同様、命で出来ているという概念だから解りやすい。無敵ではない。

さすが神道は**教のような”教え”ではなく”道”。死んだら神になる(仏さんか・・)という意味で神への道。ずっと理想に向かって時代を超えて皆が目標に向かう工程そのものが、神に繋がる道。亡くなったおじいちゃんや、そのまた親の親の・・・と続くずっと昔の人々への感謝と敬意を伝える祖先道であり、祖霊崇拝の信仰そのものだと解ります。

だからこそ神さんは金額の大小で取引しない。よって神社への賽銭がもし、境内修復など神社運営そのものに使われず、神職や巫女の遊びや飲み食いに過剰に使われてしまうと、払った者まで悪因縁をもらうという話もあるわけで、昔から見事なまでに無駄金を個人に使わせないようなシステムが出来ていたことになります。(今の政治は国民の財産を奪う感じ満載ですが、道から外れた彼等は死んでからが やばいでしょうね)

ということで東日本大震災で亡くなった神さんを楽しませる神楽をば。
梅の花を冠にさした巫女が、梅の枝を手に持ち神楽を舞います。

コメントを残す