知らぬ間に相手を傷つける言葉

という話が世の中結構あるという話を聞いてなるほどと思いました。

本人はそんなつもりはなくても、相手にはそう届いている。

ちょっとした音圧イントネーション余計な数文字の修飾語鋭利な槍(やり)になって相手に突き刺さることがある。放った方がすぐ忘れたとしても。

意図せず人が無意識に使う言葉は、まるで膨大な衣装棚からお気に入りの数枚だけを着回すように、悪意もなく当たり前のように結構な頻度で使い慣れたワードを使う癖が出来ている。

幸運にもそのワードが良くなくて、相手からズバリ指摘されることがあれば、改善される可能性があるが、そうでなければ、一生変わらない

三人寄れば文殊の知恵
ただのミニ雪見だいふくだけど

結局、コミュニケーションは言葉を交わした後に、それがちゃんと100%近く意図が伝わったかまでがゴールであり(腹が立てば中身も咀嚼する余裕がなくなる)、一対一では難しいこの工程も、三人寄れば文殊の知恵とばかり、うまく運ぶのだからコミュニケーションの奥深さを思い知らされた次第です。

メール、いやTwitterやLineはある種、奥深い手紙が行間を読ませた文化をあっけなく破壊し、欧米流の、口で言わなければ伝わらない文化を日本に根付かせる結果になったように思えます。発酵工程をなくし、すぐに届けるから、浅漬けの取り返し付かない稚拙な言葉でミスも起こる・・・なんのこっちゃ(笑)

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