ダンサーはどこで切り取っても絵になる?

どれだけカメラが進化しても、被写体の当人の動きや顔の表情、そして何よりも心の芯がしっかりしていなければ絵にならないと感じています。

それは年齢を重ねたからできるものでもなく、自然に背骨や体の細胞の中に、ある種、入り込み、融合しているからこそ、成り立つのだと思います。

社交ダンスは日本に入ってダッサイスポーツになったという人もいて残念なことですが、それは業界が若手を育ててこなかったこと以上に、そもそも年齢を重ねただけの安泰にあぐらをかいた人達が腐らせた部分も大きいのではと思います。

かつて日本の幕末を見てみると、家々に火をともすランプとしてなくてはならなかった鯨が取れなくなったから、補給基地と漁場を確保するために議会を動かし、日本を無理やり開国させたアメリカの商業界は恐ろしいものがありますが、それでも外の景色にあたったジョン万次郎などがいたから、日本を新しくしたことも確かです。まぁ昨年のトランプ米大統領来日はパスポートなしでアメリカから直接横田基地に入国したように、日本国は彼らのお庭になっていますからお笑いですね。

なんのこっちゃの話になりましたが、つまり本気の世界を体験し細胞にあらゆる栄養を新たにしみ込ませたDNAは、後天的であったとしても、全身に表れていて、カメラマンがへたくそであっても、どの角度で、タイミングで切り取っても絵になるんだと、理解したい次第です。(笑)にしてもログ撮影+DaVinci Resolve15時間を奪うゲーム性があってやばいですね。

引用元 https://fm-venus.muragon.com/entry/200.html

安保条約には安全保障の項目はない。もし日本が侵略されたら、米国は「適当な行動」を取ります。「日本を守るのが適当」と思えば守るし、「侵略者を手伝うのが適当」と思えばそうする。「放っておくのが適当」と思えばそうします。米国が勝手に決める。「安全保障」は一切安保条約に入っていない。…この2ページの文書を、ほとんど議員でも読んでないですよ。

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