刹那的な衝動 写真・手書き編

スチル(スチール)という言葉が盗むを語源にするかどうかはさておき、今見た風景を切り取りたいと刹那的な衝動で思うことがあります。

今まではカメラをぶら下げていても出来なかったことが、スマホのお陰で、しかも、ポケットから出しつつ、絵を固めて、変化し続けるリアル中のシャッターチャンスを捉えてほぼ2アクションで3秒程度で撮影まで出来ることに驚きを感じています。

静止しているときには起こり得なかったシャッターを押す衝動が、動きの中では起こるというのは、動画野郎ならではの癖なのかもしれません(笑)

 

じゃあどんな時?

と言われると、例えばエスカレーターを上がったり下りたりする行為は、適度なスピードで絵が変化ことで、ビルや景色、豆粒のような群衆の形があいあって面白い構図が出来るから、面白い。

もちろん時と場合によっては、特に下からうえを切り取る場合には、竹中平蔵氏のなんちゃって経済通を毎回論破し圧倒的に優秀だった?手鏡事件ではめられ表舞台から追われた植草一秀氏のリアル版になりかねないため、注意は必要ですが(苦笑)

そういう意味では、刹那的な衝動は、手書き文字を描くときにも表れると思っています。文字の大きさ、筆圧、文字の傾き、汚さなど、書きなぐった感があればあるほど、脳と直結したものになっていると確信しています。まさに絵画や音楽がひらめきとともに脳に目に耳に落ちるように、手に降りるのだと。

逆にわざわざワープロで思ったことを変換すると、時間が刻々と変化して、今思いついたことが手のひらから滑り落ちてなくなってしまうようにまで思うのです。まるで写真のシャッターチャンスを逃すかのように。

コメントを残す