休日という概念の消失?!

サラリーマン時代の記録では、月200時間残業を3ヶ月連続 というものがありました。確かに残業代だけで20万以上あって、この頃は死に物狂いという感じでした。

次から次へと押し寄せる仕事をというか、引き寄せる仕事をこなしていました。そして自らも経験が欲しくて、企業名を聞いて積極的に仕事を増やしたのもありましたから、けっしてブラックではありませんでした。

 

現在はさらに過酷?!

今はさほど感覚的には変わりありませんが、〆支払いといった経理や、会社間の契約や、営業、提案に実作業、納品にたまに、保守というものまで、業務に幅が出た分、さらに忙しくなったかもしれません。

どちらにせよ、真剣に楽しみながら経験を積んできたことには変わりありませんが、あえて違いを考えると、休日に関する感じ方かもしれません。

Still0309_00000具体的には、昔は休日出勤が当たり前でしたが、やはり残業代というカタチで報酬をもらう分、わざわざ皆が休みのときに出社して、どこかの部署や人のために仕事をしている感じがあったこと。

 

休日という概念の紛失?!

今は正月と一部の夏季休暇を除いて、ほとんど働いていますが、昔に感じた休日という概念をまったく感じなくなりました。

それを聞くと、プライベートと仕事の境界がないのはダラシナイと思われる人もいるかもしれませんが、そうでもないのです。

実際、関係している人たちは、就寝時間はともかく、境界がない人が多いです。もっというと、仕事そのものが自然体で、声色というものを使いません人生のほとんどが仕事をしている時間だと考えると、やりたくないものをやり続け、休日にどかっと休みを取るのはストレス発散にも当然?な流れかもしれません。

しかし仕事=志事という例えがあるように、生きることそのものが仕事と考えると、休みという概念は不要なのだと思います。映画を見ても子供と遊んでも仕事しているという意味もありますから、けっして仕事の鬼になるという意味ではありません。また、単純にたくさんの業種仕事をやると、業種間をスイッチするだけでリフレッシュ・休憩になるから不思議です。

 休日という1日の単位ではなく、毎日の中で休みと働くを繰り返せば、休日はもういらないのかもしれません。やらされている感があれば疲れだけがやってきて過労死が危ぶまれますから、気の持ちようは面白いですね。

 

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