四書五経の中庸章句二十四、二十六あたりをYoutube Liveしながら学びました。
にしても手書きはメッセージ交流には便利 至極ですね。思い立ってすぐに書ける。
映像2カメに資料(デジタル)+手書きを加えれば、もうある種完成していると思います。これにコミュニケーションであるYoutubeのチャットを使えばあっさり双方向も実現できます。
学校教育が、黒板とチョークにはじまった?!ことを思えば、手書きと言葉を中心としたコンテンツは変わらない最高の伝達手段なんだと思います。
さて中庸ですが、国には昔からの制度や法があるけれど、それを言葉で叫び、覚えたとしても本来の意味、成り立ちに思いを向けなければ意味がありません。
つまり本来、制度や法には先に理想がある。この国をどの様にしたいか、その理想に近づくにはどの様にすれば良いか、それを定め、間違いが起こらない様、外枠を作る。しかし先の作られた理想を見極めなければ罰則規定になってしまうのです。
企業でも同様で、創業者がつくった理念やクレドが自己満足に陥いらず、使い物になるかどうかは、やはり実行する社員にその精神が落とし込まれるかどうかがポイントなんです。そういう意味では朝礼で毎回大声で読み上げるよりも、社長自ら毎朝ほうきをもって周辺をお掃除し、社員がそれに続くといったほうがより、思いや方向性を一致させるためにも効率的なのです。
形骸化は恐るべき惰性の産物、やったという行為で満足してしまう心のおおいなる敵なのかもしれません