人の技能をうらやむのでなく自分の天与を知り育てる

今日の闘戦教で学んだこと

tosenkyo1カニの爪がいいのか、魚のひれがいいのか。そんなもの、そろぞれの役割の違いだけ。男前であろうと金持ちであろうと、頭がよかろうと、他人の芝生は青く見えるだけで、その人なりに苦労がある。人それぞれ自分の人生を生きている。

 

大事なこと

そして大事なのは、仮にあるものを所有していたとしても、それを役割のために尽くすべく修行しなければダイヤも原石のままということ。足が速くても、練習しなければ錆びていく。

逆に言うと、どんな人にも為すべき役割があって、その役割のために既に何かしらの花が備わっているということも確かである。

tosenkyo2そして努力をした分、身につく

無駄な経験はなく、その人の役割に応じて必要な経験ができるようになっている。

気とは息吹、芽吹きのこと。気の本来の言葉には、米という字が入っている。

tosenkyo3土の上には何もなかったはずが、芽をだし、稲穂となる。それが次々とカタチを変化させて成長し、たわわな実をつけた稲穂になる。

米一粒が種まきにより十にも百にもなる。
これこそが気のなせる技

これが我々のからだに入り、生命活動を続けさせてくれる。動植物から命頂きます。同様にヒトは死するも、志ややってきたことだけは残り、必要なものは紡いでいく。この循環が永遠と続いて行く。

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