自然との共生の中の人間

人間が畑を耕すと、いろんな昆虫や鳥やカエル、小動物に出会える。なぜなら掘り起こされる土から出てくるミミズなどエサを狙っているからだ。まさにここでも人間が自然の営みの一つであることがわかる。

 

コメ作り

昔のコメ作りで牛は貴重な動力源だった。そして今はその変わりを機械が務めている。

ここで牛も楽だなぁと思ったら大間違い。役割を食される方だけに回された彼らの一生は悲惨だ。生後間もなく母親と離され、大草原で走り回ることはほとんどなく、牝牛の場合は、一畳のスペースで飼われる。

乳を出すために強制的に何度も人口妊娠の注射を打たれ、しっぽは邪魔だからと電気で焼き切られる。一畳のスペースで少しでも動くと四方に張り巡らされた電気ショックがはしる。当然自分の排泄物は掃除されることなく、足元にぬかるむ。やがてこれらが感染症を産み、足から腐ってゆく。彼らのエサは脱脂粉乳のような科学的に無限に安く作れるものをあてがわれる。

母の乳からミルクを飲んでいないため、吸うという欲求を満たせぬ影響からかおかしな行動を取る。たとえば隣の牛を吸ったり、電気ショックの電線を固定する木をぺろぺろとなめる。

こんな不健康な牛からとった牛乳はなんの栄養がないのは当然(滅菌、殺菌で水以下に)、しかも下手をすると100円のジュースよりも安い値段で売られる。まさにウィンウィンの逆をいっている。

もちろん雄に生まれたらその時点で食肉用の一生が始まる。

こんなことだから狂牛病や、ブロイラー状態の鶏からくる鳥インフルエンザが起こるのは当然だ。自然界が怒っているのだ。

共生自然相手だけの言葉ではなく、牛や馬や昆虫や生物たち相手にも当てはまるということなんだ。まさに生態系のひとつ。それを人間が理解しない限り、いろんな災害や社会問題が起こり続けるのかもしれない。

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