永遠の刑罰 聖書勉強会

何度も触れますが、経済や政治、民族紛争などの問題を知るには宗教を知る必要があります。

世界で一番読まれている聖書ですが、本場であってもどうやら誤解されていることが多いようで、いかに神さんの真の言葉が捻じ曲げられているということが解ります。

まぁこれは聖書だけに限らず、別途習っている神道、仏教、四書五経も同じなんだろうと感じています。京都の大きなお寺のトップ連中がタクシーで遊んで朝帰りする風景を観光にしたら、ゲスシリーズ以上に繁盛するのではと思います。

 

自由な国 アメリカ

seisho0209特にアメリカ経済を見ると、いろんな壊れたものにふたをして日本やヨーロッパに負担を押し付けるマイナス金利の政策をみても通貨基軸国たる体をなしていません。

社会福祉である医療含め、日本での格差が冗談に見えるほど大きいことが解ります。全人口が食べていくだけの食べ物は十分与えられているはずが、一部の独占者が捨ててしまう悲劇があちらこちらにあります。

あらためて聖書が伝えようとしていることを なんとなく掴んでくると、ゴッドブレスなどと見た目は一人前だけど、それを掲げる国の政治と精神がかい離していることがわかります。

「にせキリスト、にせ預言者たちが現れて惑わそうとする。大きな印や不思議なことを見せたら、にせ信者はそれを信じてしまう」

「あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです」

「こうして、この人たちは永遠の刑罰に入り、正しい人たちは永遠のいのちに入るのです。」

つまり、本物はひっそり現れる。偽物は堂々と自らが救世主のように名乗る。そして、小さい者たちの一人にしたことが、キリストにしたことになる。

一部の企業や金持ちへの優遇、貧しい庶民から巻き上げる。富める者が富む仕組みをやればやるほど、政治は真逆を行くことになり真理でないから うまくいかないということになります。

 

宗教=畏敬の念と救いの共存

seisho0209v2永遠の命が欲しいかどうかはともかく、永遠の刑罰は避けたい話ですね。

そういえば仏教でも六道輪廻という言葉があり、せっかく人間1年生になれたのに、すぐ誘惑に負けて悪をおこして(例えば暴走族)、またすぐに畜生に戻る、そして四足で生まれて人間に食べられるという さいころゲームの振り出しに戻る的な教えに近いかもしれません。

新興宗教は別として、結局は人間の欲を止めるための教え子供には節分の鬼やナマハゲ、大人には天網恢恢疎にして漏らさずといったことわざのごとく、魔がさす(サタンの行為)を自制させる役割があったように思えます。

迷信は合理的でないと、壊してしまったことがらが多いですが、はたして目に見えるものだけが本物なのか。

人間は自然と触れ合うのが農家だけになって、それ以外の人には天気は傘をもっていくかどうかの指標だけになってしまったように思える。地震や火山噴火、津波などの災害が増えているのも、そろそろ見えないものからのメッセージなのかもしれません。

だからこそ桃太郎や浦島太郎がTVで販促ヒーローに使われる度に、なんだかなぁと思う次第です。

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