魔が差す?サタン?

いよいよ旧約が終わり。

seisho1さすがに外人さんの名前がたくさん出てくると名前だけで混乱しますね。世界史はしかし歴史をまたいで、世界中でこれほど野蛮な戦いが繰り広げられてきた恐怖だけは伝わってきます。

ざっと見ていく工程なので、内容理解もメモ手書きも、追従できませんでしたが、最後にこちらでも歴史とは何か という表現が出てきて、ワクワクして聞いてました。

  1. 神が定めた善なる御旨が成し遂げられて行く過程
  2. 神の善なる御旨が成就できないようにサタンが妨げる過程

seisho3ここでサタンという言葉が登場するのですね。神の計画を邪魔するのがサタン。神道では穢れ(けがれ)になるのでしょうか。

それよりも、間がさすという言葉も近いのかもしれません。これは、自分がかかげた志と、現状の行動は本来、一致するものですが、誘惑でその間が離れた際に、その隙間に魔が入るスキを与えるといいます。

あえて例をあげると、あれだけ毎朝辻立ちして高い理想を掲げた野田議員が首相になって、変な方向にいったのも財務大臣時代に、財務省の役人に取り込まれて隙間が開き、洗脳されたといううわさと同様の話かもしれません。(笑)

旧約聖書は古事記と近い表現を見たような気がしますが、新約からはきっと違いが出てくるのでしょうね。

いや、主題が神か、人かによって説かれ方の違いになっているように思えます。

seisho2仏教でも道元の現成公案には、仏道をならうといふは、自己をならふ也。自己をならふといふは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは萬法に・・・とありますが、まさに個人が主体。浄土宗、浄土真宗でも他力本願の他力を得るために自己を忘れるというのと同じような気がします。

まぁ解ったような解らないような・・・イエス・キリスト降誕前として定義された紀元前の状態はぼんやり学習できました。

このあたりからいろんな宗教がそれぞれ独自の文化を作っていくのでしょうか。

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