一度、手書きの便利さに慣れてしまうと、元の没個性に戻りたくなくなるから不思議です。
そしてこの流れは、メールのやり取りにもつながり、やがて、文字コミュニケーションは手書きになるような気がしています。
暫定的に、人とのメールのやりとりの未来を描いてみましたが、相手のメッセージへの引用はとても楽しいものです。
色を付けたり、花柄などの絵を付けたり、怒ってる顔を書いたり、汗を書いたり、お絵かき的なやり取りは、綺麗、汚いという違いはあるものの、個性そのものだから楽しいです。
怒っていても笑っていてもワープロは無機質で、相手の感情を絵文字が埋めてきましたが、絵文字連打すればするほど、遊びっぽく見えてましたが、それもこれで解消です。
あとはスピードですが、筆記でも早く書く練習をすれば、それなりにいけると思います。もしくは、自分の癖字を登録しておいて、音声入力してその文字フォントを使うというサービスも楽しそうですね。
いずれにせよ、ものあまり&合理化主義の現代、息を抜くためにも新しい市場を切り開くためにも、感性を刺激するツールや、アートはそのヒントになりそうな予感です。
そういえば昔
メーカー系SEをやってたころ、配属された営業部署で、部長がいて、字がとても汚いのが印象的でした。
誰も解析できないのですから、読み解ける秘書がついていたのが懐かしい思い出です。そんな人に限って頭はずばぬけてよく、気が付けば、副社長になって新聞に顔が掲載されていたのを見て、やはりなぁと思ったものです。
誰かが言ってたのですが、頭の回転スピードに手書きが追い付いてこず、虫が走ったような図のような文字になるとのことでした。