シルバーウィークの本日、勉強会に行ってきました。
統貫史法
やはり何度聞いても、昔から脈々と受け継がれた日本の背骨は太いと感じます。いつの時代であっても、変わらない、根本的思想を、統貫史法とよびます。
神武建国の理想、仁徳天皇、聖徳天皇、桓武天皇(平安京)、菅原道真、延喜天暦の治、建武の中興、楠木正成、水戸光圀、水戸学、平泉 澄 |
水戸光圀の編纂した大日本史があり、その場所 彰考館をつくったから、明治以降も欧米列強に物理的、精神的に植民地化されることなく、道が繋がっていきます。
このように一部だけ切っても、古事記から脈々と、正しく受け継がれていることがわかります。
それと比べて
日本の意志には関係なく、アメリカに行けといわれたら戦争に行く、なんとも自主性にかけた戦争法案が通ってしまいました。三権分立も政治の多数決制度に対して歯止めをかけられない、制度不良を露呈させる出来事のように思えます。
インフルエンザの注射にせよ、子宮頸がんワクチンにせよ、日本の子供の数を減らす戦略ともうわさされる中、どんどん入り込まれて、日本全体が背骨ごと、終わっていく恐怖を感じます。
そこに義があるのかという点を考え、未来を真剣に考えた政治の復活を見てみたいものです。
祖先道
神道は、宗教でないので、神教とはいいません。神道は祖先道であり、祖先がどう歩んできたか、そしてそれを元にどう歩むべきかという道が解かれています。
我々は式年遷宮に立ち会うことが出来ましたが、仏教、儒教、キリスト教、イスラム教などが古いものを尊ぶ中、なぜわが国が古いものを尊びながらも、式年遷宮をするか ということが、残念ながら知られていません。
それは、日々新たに生まれることに神の息吹、命の躍動を感じるからです。
日本には革命は起こらず、明治維新など、維新とよばれます。歴史を踏まえて今を生きる者が責任をもって前へ前へと新たに生まれ変わっていくことを、維新とよぶのです。
伝統は尊いものですが、そのままでは時代に合わず、形骸化されるものもあります。その時代時代に即した考えを、古き良き方針に学びながら、義に照らして、新しいものをつくっていくことが憲法にも政治にも望まれているのです。
これは四書五経の中庸にも書かれており、真理なのだろうと思います。