デジタルがアナログを抹殺する日

Appleの新しいiPhoneiPad Proなどの製品群が予告され、Webをにぎやかにしています。最先端のビジネスをやっている人たちは、それが次から次へと乗り替わっていく事象に対し、まるでサーフィンのように波乗りして進むことに快感があるのかもしれません。

特にITにはその傾向があり、ひょっとすると積み重なる技術を吸収し、他人にどや顔で見せ、称賛されたい人もいるのかもしれません。これもやりすぎは危険で、新商品発表会の深夜の列に並ぶごとく、万が一それが、目立つこと、自慢することそのものが目的になっていたとしたら・・・

いずれにせよ、これはメーカーやサービス企業など、ビジネスをやっている人間にすれば良いカモになっている可能性があります。損をしないように考えつくされた海外企業の得意な戦略の上で

自己満足、自己責任と言われればそれまでですが、人気ブログの管理人やグッズ販売に誘導するビジネスならいいのですが、流され、本質を忘れてしまって、本来やらないといけない時間を無駄にしていないかと思ってしまいます。

余計なお世話かもしれませんが、自戒の念も含め、本当に便利なのか、毎年新しい機種を買って、何が変わったのか。お金も時間も無駄になっていないか。

そして、SE時代にも感じた、「ひとが知らないことを知っている」ことが、得意になり、勘違いし、クライアントに対して、言動も見積もりも常識から外れていく。。。という懸念にもつながります。

そう思うと、かつて自分より年上世代と話したとき、確かにどうでもいいことをスマホを見せて自慢していた頃を反省してしまいます。

大人も子供もペットも食べられる発酵食品

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その技術で何をするか・・・スマホが医療データを自動的に送るとして、それは医者が楽をして患者への接触を怠る仕組みの支援になっていないか?、集めた個人情報群を名前を隠して売買されていないか、そもそも病気になったのは誰のせい?ということを忘れる懸念があります。

昔はマラソンなどテレビ中継が入るようなシーンで、一時的にトップになり映りたいという衝動はかわいかったのかもしれませんが、とにかく知っているというだけで、これで食っていけると勘違いする人が増えると、まずいなぁと思うわけです。

これは最近のYoutuberにも感じます。

おそらく共通の言葉にするならエスカレート でしょうか。

昨日のエスカレーターとは違いますが、危険という意味では同じかもしれません。(笑)

 

アナログとデジタルのせめぎあい

良質な発酵物と繊維質を採ろう今、新しいキャラクターを生み出すべく、イラストをお願いしている人は、ベクトルデータでの納品は勘弁してほしいといいます。

確かに電子ペンで誰もが書く線が、まっすぐで個性のないものになってしまったら、芸術はもう生まれないかもしれませんね。建築物にほれぼれすることはあっても、涙が出るほど感動する自然の風景にはなれませんから。

出版会社が次々に苦しくなると、出版に関わるさまざまな人があふれていき、本屋から先に崩れていきます。まさに今、そんな時代です。本も新聞も読まない。

拡張現実は本や紙面に動画を映し出す面白い仕掛けです。ひょっとするとこれが、紙の救世主になるのではと、最近は特に強く感じています。

ペーパレスと言われながらも、紙は相変わらず必要で、目に優しく、ページをめくる感覚は直感的で、大事なところは赤ペンでマークし、折り曲げて目印をつけ、書くときはバッテリーレスで動く鉛筆が有効です。ユーザが電力会社に払うものは夜の電気代ぐらいでしょうか。

目が痛くなる頻度が増えたからということもありますが、私たちのアイデアをきっちり書き留め、ひとから人へ伝達する最速の手段として、アナログでできた人間に未来永劫、寄り添い続けてほしいと願う今日この頃です。

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