恒例の雪ちゃんところのダンスパーティーの撮影に行ってきました。
創業3年目
結構な家賃を払いながら、継続出来ていることはすばらしいことです。そんでもって、さすがというかダンスの本場、ロンドンに、先生自らが教室を何度もお休みして、習っているだけあって進化は去年の状況を軽く上回っていました。
着物は日本の文化ですが、社交ダンスはやはりイギリス。驚いたときのしぐさや、その際にとっさに頭に思いつく言葉、はたまた恋のしぐさまで、国が違うということは全て違うことを意味します。宗教的な違いも大きく関わっているだろうことも想像に難しくありません。
ダンスは男女の愛の物語?を演じていると解釈していますが、日本流を実に付けた選手が、海外での競技会に出て、イギリス人にとって不自然な表現をすればたちまち、現地の審査員は??!となります。こうなると、必然的に勝ち抜くのは難しくなります。お土産を渡す際に「つまらないものですが・・・・」では、相手は「失礼な。そんなつまらないものはいらない」という感じでしょうか。
これが文化の違い、仕方ありません。
日本の社交ダンス業界は、日本の偏差値社会とどうも似ていて、記憶力テストによるものが多いといいます。つまり型を覚えて、それをきっちりこなす ことが資格を得て、上に上がっていく唯一の手段だといいます。個人的にはあとひとつ、逆輸入に弱いと思いますが。。。(笑)
確かに製造業のような量産が必要なビジネスの場合は、マニュアルに忠実にすることは当然至極のことですが、社交ダンスはあくまでも、個人の表現の追及。求愛だったり、悲しみの表現だったりするわけで、見ているほうも、多少、型から外れていようと、ふたりの表現したいものが観客に伝わったらOKなのだと思います。
海外との交流が必須になる中、社交性が求められるシーンは確実に増えてゆきます。まさに社交を歌う社交ダンス業界が変わっていく必要があると感じます。オリジナルをつくるには真似や基本が必要なのは当然ですが、いつまでも記憶力テストだけにこだわればこだわるほど、自由な表現力が欠落していき、自分独自のアイデアがでないのは、政治もビジネスも同じことです。
業界に新しい風を入れようとする、そういう熱い志を持つ二人が、本場の師匠に学び数年が経ちますが、確実に新しいオリジナルの表現力を実に付けたと確信した瞬間を見ました。
海外ばかり行ってお金は大丈夫??と聞く私に、雪ちゃんは平然と言います。生徒さんに「賞味期限が切れたものを、お客さんに売れない・・・」
まさに、生徒さんにも最新の技術を惜しげもなく教えるから、他の教室と比べて厳しいけれど、上達が早く、何よりも良い生徒さんにも恵まれるのだということを、若いお二人に学ばせてもらいました。
写真は映像の切り出し。無謀なマニュアルフォーカスでピンもずれますが、1本3000円で買った古いレンズは味があります。 |