映像のわかりやすさの 要素について

あらためて映像の表現について 考えてみました

撮影された動画そのものの中に動く素材があり(もちろん高解像度の格好いい写真でもいいのですが)、その中に撮影者や監督やスポンサーの意思があり、その際の環境音含め 演出された素材が詰め込まれた映像が一般的だと思います。

もちろん素材そのもので見せる場合もありますし、後付け要素として、映像の巧みなカット、見せ方や、タレントを子画面で入れ込んだ合成処理がある。さらにナレーション、テロップ、そしてBGMといった要素が加わってとても見やすいものになっていきます。

テレビは久しく観ていませんが、全ての言葉を文字起こししてテロップ化するなど、もう字幕そのもののような扱いをしていたように思います。
もちろん映像の撮影方法もGOPROでも何でもありの状態だと記憶しています。

ある種 映像はドローンの上空映像含めた技法も含めて、行き着くところまで行き着いた気がしていますが、個人的にはここに手書き要素が加わることで、さらに高まると思いますし、さらにこれからの要素として、ライブ中継で誰かと、どこかと繋がる映像を差し込むことでさらに、見やすいものになっていくことと思います。

ものがCMだとすれば、直接こちらに向かって営業されるよりは、肩越しに誰かが一時的に受け取ってほしい心理状態があると思っています。

 

ライブ要素が新しいをつくっていく

後から手書きしようとうすると 大変だけれど リアルならすぐに出来る(ミスも残るけれど)

そもそも、Amazon Prime Videoなど、クラウド上に録されたパッケージの超大作映像はいつでも見られる、また時間があるときにじっくり見るから と、ライブの方が観られる文化も増えてきた今日このごろ、未来はいったいどうなっていくのでしょうかね。

もちろん行き着いたと思われる映像表現も、新たにちょっとGPTといった(chatGPT)AIくんが登場してリアルタイムの答えを差し込んで、笑いをとったり、凄いと思わせたりといった要素が入るのは間違いないでしょうが。

いずれにせよ、人に伝達する為に映像が使われるとすれば、やはり静止画だけでもいいし、映像はなくて真っ暗の中に歌詞付きの音楽だけでもいいし、イラストがあって、それを完成させるまでの早送り映像でもいい。

そういえばかつて 面白い良いと思われたユーザ側がアングルを変えられる手法は 人間は楽する生き物なのか 結局普及に至らなかったように思いますが。

 

新しい世代、外国の文化交流などが未来をつくる

縦で編集するのも案外楽しい

ほとんどがスマホベースでYoutubeにアップしており、とにもかくにも、世界中の誰もが扱えるようになった映像は、スマホ向けの縦動画が流行ったように、若い感性やご年配の智恵、海外の文化どう結実するかによる。興味ある製品を追いかけて 気がつけば 何語かも解らない人のYoutubeを楽しむことも増えましたし。

既にセオリーはなくなり、目的のために閲覧者向けの媒体向けに、驚きや笑い、感動など、様々な表現が明日からも進んでいくモノと思います。

これはある種 楽しみであり、ますます眼を酷使させる先に何が残るのかは見てみたいとは思います。

ということで、縦と横で映像編集した様子を、リアルタイムでペンで解説文字を書きながら、収録した動画を、後から纏めて編集しています。

ほんとうは作り手の 性格に尽きる気もしますが(^_^)
汚いとかエラーとか 珍しい切手が重宝されたように汚い字も特徴になるかも(^_^)

 

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