映像は万里を超える

伝達力・・・プロもアマもない世界

良い内容も悪い内容
ニュースイベント式典セレモニーも、ハプニングPRも 陰謀
映像は瞬時に地球の隅々まで届けることが可能になりました。

まさに従来の新聞を握るものは全てを握った時代と同様、
いや、もっと圧倒的なパワーをひっさげて 映像を創る技術は力をつけてきたと思っています。

AIが映像を創れるといっても、期待するユーザに見られるかどうかという視点は別であり、必至でテレビ局が偽のニュースをせこせこ創ったとしても、圧倒的庶民はその嘘や、CGを見破ってしまう。

違和感があるかどうか、響くかどうかは、クオリティやベンダーが第一理由ではなく、魂の叫びがそのまま作り手に伝わり、映像が完成するかどうかにかかっている。

 

だからこそ

映像素人でもその業界のプロが撮影した動画はとても伝わるし、第三者のプロがお金をもらって、高額な機材を使ってもステルスマーケティング臭がして、だれもアクセスしないものになるリスクをはらむ。

誰でも使えたドローンも国が奪い専売特許化した時点で 臭いものに見える・・

あらためてYoutubeなどの共有先は進化しましたが、人間が食いつくモノは変わっていない

古くからの脳の旧皮質に宿るものや、経験以上に、違和感だまされない!という生きる防衛本能が本来備わっていて、それが今まで封印されていたのが、コオロギ食やワクチンの如くうっかり打てば死ぬと解った今は、真剣に地頭が働いて、信頼できる仲間を探し、彼等と一致団結して、守りぬくという本能が蘇ってきたのだと解ります。

ということで、真剣に良いと思ったモノはよいわけで、それをどう伝えるか、迫力は伝わるのか、語彙力は大丈夫かと、自問しつつ、再度LegionGoの映像を作成した次第です。

 

<良寛さんの言葉>

災難に逢う時節には災難に逢うがよく候
死ぬ時節には死ぬがよく候
これはこれ災難をのがるる妙法にて候

1828年冬、良寛71歳の時、
住んでいた新潟の三条に 1500人以上の
死者が出る大地震が起こったようです。

人はいつの時代も苦難と隣り合わせだったんですね
https://gakuen.koka.ac.jp/archives/677

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