自然のものが一番美味しい

サステナビリティを叫ぶ人達は インチキ外人

ハワイコナ 酸味が果実を思い出させる

昔から日本は循環社会を築いていて、300年連作障害のない米作り含めて、江戸時代を持ち出さなくてもすごく循環していました。

たとえば鯨漁を観ても明らかです。

アメリカはランプの為だけに油を絞って、その他は不用として、海に棄てていました。

だからサメがやってきて舟が襲われるという馬鹿な話しもあったようです。残酷な殺傷の仕方で引き上げた鯨をただ皮を割いて、どんどん熱い釜に入れて、油を抽出したら用はなしと、大半の体をただのモノのごとく海に棄てていた。

未来の稚魚までごっそりと奪って生態系を壊す 節操のない漁をする今の中国と同様、当時のアメリカは、あまりに乱獲をし過ぎたせいで、鯨が減ってしまった

 

ペリー来航はビジネス(油)のため

自然食のショップ

まさに油だけにオイルマネー。日本の領海近くまで遠征してきて、その悪を行い続けたというのが、開国の本当の歴史です。途中で寄港できる港がないと燃料が尽きることで、大儲けしていたペリーの血縁者がアメリカ議会を通じて、無理矢理こじ開けたのです。

一方、日本は昔から鯨の命の全てを頂く漁を行っていました。もちろん油だけでなく、食べられる肉、その他部位もいろんな用途に使用させて頂いていたのです。

さらには漁そのものに対しても違っていました。村全体が潤う為に、総出で鳴り物を鳴らす者や 網を張って 片側に追い立てるものなど、ある種お祭そのもの 神事、まつりごとだったように思います。

巨大な鯨が尻尾を振れば、何人も吹き飛び命奪われるリスクの中、苦しみが少ない脳天への一撃を目標に、自らの命をかけてふんどし一丁で鋭いモリ1本を持った者が、頭の上部に移動する。ここぞとタイミングを見計らってモリを刺す。

これこそ命の尊厳を守る行い、命を頂くから 頂きます を行っていたのは日本人だけではないでしょうか。

 

循環は人間だけのものでない

大塚製薬 ボンカレー 国産?

童話作家 金子みすゞのふるさと 山口県の仙崎(せんざき)で驚いたのは、おなかをさばいて、もしその中に子供がいたら逃がしたり、亡くなってしまったら法名を付けてお坊さんが供養したり(今も継続している)と、人間と同等の尊敬の念を持ち神聖な行事を 漁師が行っていたのだと思います。

改めて 命を頂くというのは崇高な考え方であり、言葉と行動が一致する日本人そのものの優れた行為。

だからこそ、そこに健康があって、医食同源というところと、神々への天への恵みと、自然への感謝、があり だから健康が与えられるという良い循環が出来ていた証拠だと思います。

あらためて西洋医療は不用であり、食が乱れる中、昔の古き良きに学び、健康を考えたいと思います。

良いモノは単純に美味しいぃいいい!

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