盗っ人などに墓が荒らされたとしても
地域や国のトップがそれを見つけ、捕らえ、罰則を与え、元に戻し、維持管理などの対策をしてくれたおかげで
昔の文化がそのまま見られることに感動しています。
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古墳を巡る刹那の旅
先日の岡山倉敷美観地区の帰り 全国一の古墳 岡山 造山第一古墳 に登ってきました。
直前にこの千足古墳の石室が全面公開されたことをニュースで知って、思わず行程に入れ込んだ次第です。
残念ながら石棺内部に降りていく階段を超えると、ドアが閉まり、15時で終わっていたことを知りましたが、上からでも充分雰囲気は伝わってきました。
あらためてこの古墳は、
- 五世紀前半の造営
- 自由に立ち入り出来る古墳としては 全国最大。
- サイズは 噴長350m、後円部 径約224m、
- 岡山県で最大、全国4位のクラス
- 上中下の三段の墳丘、埴輪円筒列をめぐらせた
- 古墳の石室には直狐紋(ちょっこもん)の装飾彫刻がある。
埋葬施設などの詳細は不明ですが、被葬者は当地域の首長であり、吉備全体を統括していた大首長の地位だったとする説。
ただし大王墓ととする意見もある。吉備が畿内の勢力と肩を並べるぐらい強大だった。また、石棺の蓋には直狐紋(ちょっこもん)の装飾彫刻が刻まれ、阿蘇要訣 凝灰岩(あそようけつぎょうかいがん)製で、あり、九州地域の石棺の特徴を持っています。
吉備地方を支配した 吉備氏
中央勢力とも繋がりが深く、九州の石材を見つかっていることでいかに吉備勢力が大きかったかは この古墳を見れば解ります。この吉備氏は大和王権にも負けない実力を 有していたが造山古墳をピークに古墳の規模は徐々に縮小していく。
5世紀後半には 吉備が完全に大和王権の支配下になったとみられ そこから威勢を貼るための巨大古墳も必要ななくなり、縮小していったとみられます。
純粋な日本人で回っている時点では、改めて日本は平和であることが解ります。
いや、日本全国を往き来していただけでなく、舟を使って、昔は中国や朝鮮半島のヒトやユダヤやあらゆる大陸のヒトが日本に訪れて、交流していたのは間違いなく、むしろ その自由をコントロールしようと考える悪が 平和を崩していることが解ります。天皇制を脅かすLGBT法案、緊急事態条項など、阻止したいですね。
ということで、以下動画です。