新しいは 実は古い
ちまたを賑わすチャットGPTなど、AIによる文章自動生成ブームや自動車の自動運転、音声の自動認識、文字おこし、自然なAI音声読み上げなど、あらゆるものに次世代のコンピュータ技術を感じる時代がやってきました。
しかし改めて考えれば、新しいものはより新しいもので塗り替えられ、途中経過は決して振り返られない。世界での競争が激しくなればなるほど、棄てられる遺物となっていく宿命も多いのではと思います。
それは時代のあだ花。仕方がない運命ですが、実用的なものはやはり性能が一番重視される分、脳裏には残らないのです
文化はヒトと共に自分も関わったトータルの歴史
埴輪や古墳、歴史的な遺跡は、歴史上の人物が関わったり祖先が触れてきたもの。
だから時代を馳せるためには良いきっかけになるし、積極的にそれに近づくことで時代を呼び寄せる。
同時にオモチャも、時代とともに多くの人がテレビや看板など眼にしてきたモノ。大人になる過程で脳裏の中にインプットされている。
特にデザイン性やその時代を表した衣装、ミニスカートや髪型など、容易にタイムトリップする要素で溢れています。
だからこそ
- この流れは、無くてはならない時代回帰。
- 思い出は脳ミソの中身を駆け巡り、時代の音楽と共に蘇ってくる。
- 懐かしさとともに、その頃夢中になっていたことやメロディさえも蘇る。
- ヒトが生きた証になる。
- ヒトが愛着を持って所有していたオモチャなどは、念が入っている分、より深くなる。
- レトロのオモチャ箱。古ければ古いほど、多くの世代に響く。
- 新しいものより 古くて新しい
を改めて 古いお城と共に 味わった次第です。
ぜひ現地にお越しの際は、立ち寄って頂ければ幸いです。