先生よりもYoutube 一日で公開するYoutubeコンテンツを作る

Youtubeなどの動画を2倍速で観るのも当たり前に

何度も触れていますが、みんなが時間がなくなっているように思います。かつてコンピューターは人の効率向上のためのものとして産まれ、確かに多くの煩雑な作業を代行してくれて便利になったのは確かです。

が、その余ったはずの時間を、じっくり楽しむ余暇に使うこともなく、多くの人々はその時間を、さらなる仕事に向けているように思えるから不思議です。

そして効率が上がった分(お金は上がっていないように思いますが)をさらに目を酷使する方向へ使う、小学生でさえ、目を酷使して、未来の自分の貯金を潰しているようにも思えるから不思議です。

 

さらに感じたことは、AIの台頭

人の職業を奪うかもしれないとされたAIと人との関係は、まだまだ産まれたばかりの彼らに対して、人は寛容に思える対応をしています。

が、将棋の藤井さんがAIに学ぶように、またアート的な絵画を描いたり、はたまた人間でも手を焼く作業を圧倒的スピードでやりこなすだけのロボットでないことをみて、すこしずつ恐怖が芽生え始めているのも確か。

例えばコンピュータにテキストで指示を出して出来る絵なんてものは、当初、共用部品が多く、みんなユニクロ服のような状態になって飽きるだろうと思っていたら何とも、細やかにその人の好みに合わせて、その人オリジナルの方向でテイストを変えていく柔軟さを持っているように思います。

 

ディレクターが生き残りのキーワード

優れた先生というか、弟子に、的確な言葉で依頼すればあっという間に、欲しい絵を描いてくれる。これは映画監督スポーツの監督のような選手を使って良い結果を残すディレクション能力に他なりません。

そして同じAIを使うならば、よりベストなAIを選ぶべきですが、ネット世界はみんながGoogleやDeepLを使えるように、世界最先端をみんなが使えるクラウドサービスが当たり前化しています。

つまり足の速いカールルイス(古い)と走ったら、遅い自分の足が多少なりとも普通の先生に学ぶよりも速くなるのと似ているわけで、ださいAIと付き合ったら遠回り、一か八かでしかないかもしれません。(熱血先生の感情豊かな人間らしい人が残ると思いつつ)

まぁ実際のところはどうなのか解らないのですが、一流の人に学んだ方が、その辺の人に学ぶよりも圧倒的にその人の能力が伸びるとうことは、感覚的に感じています。

 

動画がキーワード・・だけど視覚よりも聴覚、感性を伸ばさねば生き残れない

先日の調査では子供へのアンケートで興味深い結果が出ています。学校の先生から得るよりもYoutubeからの情報収集が圧倒的に多いという回答が出たようなのです。

先生よりもYoutube

https://ascii.jp/elem/000/004/103/4103609/?topnew=2

 

そういえばYoutubeの著作権管理も高度になりつつ、発信者に、より便利になる機能がどんどん増えていることも、さらに学習スタイルを激変させる予感がしています。

ということで、今日午前中に思い立って一発撮りした映像が完成しましたが、AIによるBGM削除機能はほんと便利で、URLを変更することなく、著作権問題を克服してくれるこの機能は多くのYoutuberに使われることになるでしょう。

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